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高橋朱里 大石遼の手記

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「だからあ、僕は最初からおかしいと思ったんだ」

 

 べらんぼうに酔った女というのはここまで厄介なのか。

 ワインボトルを片手に高橋という女が突っかかってくるのを、私は先ほどからずっと耐え(しの)いでいる。

 

「君もそう思わないか、ええ? 大体人の下着のにおいをクンクン犬のように嗅ぐ人間がバーテンなんて、世の中間違っているよ」

 

 果たして、この女が言うことは真実のようで、作り話にも感じた。

 クリエイターというのは半分妄想の世界を生きている。

 

「でも、君無口だよね。名前なんだっけ? リュウだっけ? ドラゴンかっての」

 

 愚痴を散々言っておいて、次は甲高い声で笑い始める女。

 私はもう帰ってくれと願うばかりだ。

 

 ああ、生田さん

 私は早くあなたに会いたい――。

 

 

 

 生前の父の作品を見て感動したと言って、一人の女が来た。

 歳は二十歳を過ぎたばかりだろうか。

 イラストレイターの仕事をしていると言った。

 

 アポもなしにいきなり訪ねてきた女だったが、私には追い出すだけの度胸なんてなかった。

 かろうじて、見学くらいならと了承するのが精一杯だった。

 

「へー。ここで作品を描いていたのか」

 

 アトリエを見る女。

 こうして女と喋るのは久しぶりのことだった。

 もっといえば、人間とも。最近の私はずっとアトリエに籠ってばかりいた。

 

 客ぐらい来たのだから、お茶でも出してやろう。

 そう思ったのだが、久しく来客なんてなかったから、コーヒー豆はおろか、茶葉すら見当たらなかった。

 どうしたものかと悩んだ挙げ句、しょうがないからいつも飲用しているワインを出すことにした。下戸ならば仕方がない。

 

「あ、あの、飲み物をどうぞ。わ、ワインですけど」

 

「むっ、これはかたじけない」

 

 現代っ子のような顔をして、台詞は時代劇のようだ。

 何かがこの女はおかしい。

 アトリエを訪ねて来た時から、私はこの女に異変を感じてならなかった。

 

「美味い。ワインを特別美味いと思ったことはなかったが、これは格別だ」

 

 そう言って、グビグビと飲む女。

 あまりにも飲みっぷりがいいから、私はすぐさま空になったグラスに注いだ。

 

「そういえば、息子であるあなたも画家なのでしょう? 絵を描いてはくれませんか」

 

「私には絵の才能は残念ながら」

 

「描いてください。頼みます」

 

 早くも頬を赤くした女の懇願に、私は渋々頷いた。

 

 

 

 完成した絵は、お世辞にもいい出来とは思えなかった。

 いつも生田さんしか描いていないのに、他の人間を描くのなんて久しぶり過ぎた。

 

「やはり血は争えないな。父親そっくりだ」

 

 モデルは女がかってでた。

 しかし、ワインを飲みながらだった。

 おかげで女はすでに出来上がっているような状態になっていた。

 

「どこがですか。こんなもの、全く父と似ていませんよ」

 

「このライン。このラインだ。とてもよく似ている」

 

 輪郭の一部を指差す女。

 私にはまるで似ているとは思えなかった。

 

 

 

 泥酔した女を見ながら、私は吐息をついた。

 ようやく寝てくれた。

 

 これがもし生田さんなら――。

 私はきっと踏み込んではならないところへ行ってしまったことだろう。

 しかし、この泥酔女には全くといっていいほど、身体が反応しなかった。

 

 

 

 結局、女とは一晩を共にした。

 初めてのことだ。

 

 しかし、翌日のあの悲劇を私は思い出したくはない。

 記憶から抹消することに努めた。

 

<了>