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［＃１字下げ］徒然なるまま妄想日和～たら・れば編～［＃「徒然なるまま妄想日和～たら・れば編～」は大見出し］
［＃ここから１６字下げ］
［＃ここから２０字詰め］
羅天萌瑠子
［＃ここで字詰め終わり］
［＃ここで字下げ終わり］

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［＃２字下げ］星野みなみ［＃「星野みなみ」は中見出し］

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［＃４字下げ］『誕生日』［＃「『誕生日』」は小見出し］

「あっ、先生！」
　

　その日の収録を終えたみなみが局を出ようと足を進めていると、自らが話したかった人物を見つける。彼女は嬉しそうにその相手に声を掛けてからぱたぱたと駆け寄った。彼女に呼ばれた人物は足を止めてくるりと振り返るとその視野にみなみを捉える。
　

「みなみ、お疲れ様。どうした？」
　

　いつも以上ににこにことしているみなみへと疑問を抱いたのか彼は問い掛けるが、機嫌の良い彼女はすぐには答えずに相手が自分で気付いてくれるのを待つ。&nbsp;
　暫く時間が経過したにも関わらずその答えが彼の口から出ることは無かったが、みなみは機嫌を損ねることなく相手の腕を軽く叩く。
　

「もー、仕方無いなぁ。大ヒントですよ？今日は何の日でしょう？」
　

　いつも通りのマイペースな声で告げられると、彼ははっとする。その表情の変化で相手が気付いたと判断したのか、みなみはじっと彼を見つめながらその言葉を待つ。
　

「そうか、誕生日か。」
　

　小さな声で呟かれたにも関わらずそれを聞き逃さなかったみなみはぱちぱちと拍手をする。その後祝いの言葉が続くであろうと期待して相手を見つめるが、彼は時計で時間を確認してから軽くみなみの肩を叩いた。
　

「そうでーす。みなみは……」
　

「すっかり忘れていた。あの先輩は何も言わなければ後から煩いのでな。みなみ、恩に着る。」
　

　みなみの言葉を最後まで聞く前に彼は思い出したように自らの言葉を重ねる。その後みなみへと簡単に礼を告げてから慌ただしい様子でその場所を離れた。
　突然の出来事にただ瞬きをして彼の背中を見送ったが、暫くして頭の中で今起きた事の整理がついた途端に不機嫌さを露にする。
　

「えっ、ウソでしょ？」
　&nbsp;
　むしゃくしゃとした思いを抱えたまま出口に向かってあるいていると、自動販売機で購入したものを近くのソファーで口にしている堀未央奈を見つける。今のもやもやを誰かに話したいと考えていたみなみは迷うことなく未央奈の元へと歩み寄った。
　

　

　突然声を掛けたにも関わらず未央奈はにこりとして彼女を隣に座らせるが、その後みなみは先程起こった一連の流れを怒濤のように話す。
　一気に話を聞き終えた未央奈も目をぱちくりさせていたが、やがて小さく笑った。
　

「ひどくない？その程度でしか……」
　

「その程度？その程度って、どの程度？」
　

　未だ不満を口にしてたみなみの言葉が引っ掛かったのか、未央奈は小首を傾げるようにしながら問い掛ける。それによって自らの失言に気付いたみなみは思わず動きを停止する。
　

「え？何でも無いから！」
　

　なんとか誤魔化そうとみなみが慌てて否定の言葉を告げると、未央奈は察したようにそれからは深く聞き出す事は無かった。しかしながらその後に何かを考える仕草を見せると、彼女を見てみなみは首を傾げた。
　

「あ。本当にお祝いして貰える仲ならさ、留守電とか入ってるんじゃない？」
　

　自らも首を捻るようにしながら未央奈は自分の考えを告げると、みなみは苦笑いをしながらも自らの携帯を鞄から取り出した。結果が気になる未央奈は携帯を操作する相手を眺めていたが、期待していないみなみは小さく首を横へと振った。
　

「えー、そんなめんどくさいこと……」
　

　操作をしながら告げていたが、とあるものが目に入ったみなみは再び動きを止める。それで答えが分かった未央奈は笑いを堪えるように口元を手で覆った。
　

「入ってた」
　

「聞いてみれば？」
　

　未央奈から促されたみなみは小さく頷くと、録音再生の操作を行い携帯を耳元へと近付ける。携帯に集中している彼女の緊張が伝わってか、未央奈もまじまじと相手を見つめる。
　機械の通知音が聞こえてから、いよいよみなみの耳へと聞き慣れた声が届く。
　

『みなみ、お疲れ様。実は明日付くスタッフが変わったからその連絡をした。我儘を言わないようにな。』
　

　相手の声に心拍数が跳ね上がるが自らの期待していたものと大きく内容が異なり、それに加えて翌日楽しみにしていた事までもが無くなると知った為にみなみの表情は険しくなる。
　留守電の内容が聞こえない為に未央奈はみなみの表紙ががらりと変わった為に首を傾げた。
　

『あとは、みなみから言われていたように専用の着信音を設定した。今から流すぞ？』
　

　しかしながら彼の声が続けた言葉にみなみの表情が明るくなる。
　以前彼に半ば無理にお願いした事ではあったがそれを覚えてくれていただけではなく、約束通り設定までしてくれた事に彼女の鼓動が高鳴った。
　だが、次の瞬間彼女の機嫌は一気に悪化する。
　

『 迷子の私を導く答え(サビいくよっ！)いつからだっけ？もど……』
　

　聞き覚えのある歌が流れ、彼女はそれを最後まで聞く前に録音の再生を中断する。表情へと不満が現れている彼女はむすりとしながら携帯を鞄の中へと放り込んだ。
　

「ねぇー！もう、本当にむかつく！」
　

「みなみ、どうしたの？大丈夫？」&nbsp;
　

　足をばたばたとさせながら不満を口にする彼女を見て、未央奈は心配そうに話を聞く。必死なみなみの訴えに耳を傾けていた未央奈であったが、彼の対応がユニークと感じたのかくすくすと笑い始める。
　

「ふふっ、先生らしいね」
　

「笑い事じゃないからぁ、もう！あ、帰らなきゃ！」
　

　未央奈の言葉には頬を膨らませて反論していたが、ふと目に入った時計が指していた時刻に驚きソファーから慌てて立ち上がる。未央奈に手を振ったみなみは急いで自宅目指して駆け出した。
　

　　　　　　　　　　　☆
　

　急いだ甲斐もあり予定していた時間よりも早く家に到着すると、みなみはほっと胸を撫で下ろす。急いだことで乱れた呼吸を整えてから自宅のドアを開けた。
　

「ただいまー」
　

「あ。みなみお帰り。そういえば、なんか届いてたよ？」
　

　室内に帰宅を知らせた際に1番に気付いた母親から声を掛けられると、みなみは首を傾げてから自室へと向かう。部屋の明かりをつけて目に入った包みには、見慣れている丁寧な筆跡で自らの住所が記載されていた。
　

「先生からだ」
　

　送り主の住所を見る前に相手が分かるとみなみの頬は自然と緩む。丁寧に箱を飽けてから目に入ったプレゼントに、みなみはくすりと小さく笑った。それを取り出した際に手紙が同封されている事に気付き、彼女は深呼吸して手紙を開封した。
　

「ぜーったい、許さないし」
　

　全て読み終えた後に手紙に向かって告げたみなみの表情は心から嬉しそうに綻んでいた。


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［＃２字下げ］朝長美桜［＃「朝長美桜」は中見出し］

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［＃４字下げ］『寝起き』［＃「『寝起き』」は小見出し］

　とある日の朝、男はセットしたアラームよりも早く目を覚ます。その隣には静かに寝息を立てる美桜の姿があった。
　事の発端は昨夜、彼女のスケジュールを担当していたスタッフからの連絡であった。手配していたホテルが手違いにより宿泊出来なくなった為、東京での担当をしていた彼へと連絡が回ってくる。ホテルを数件当たってみるが満室が続き、仕方無く彼女を自らの部屋へと泊めることとなった。
　

「まさか、本当に隣で眠るとはな」
　

　美桜は彼を慕っており、男もまた彼女の事を気に入っていた。お互いにそれを感じる節があったのか、美桜は就寝前に恐くて一人では眠れないことを彼へと訴える。男は翌日の仕事に支障をきたさない為にと自らに言い聞かせながら、隣で眠るという形で彼女の申し出へと応えた。
　

「そうだ……朝に弱いのだったな」
　

　思考がはっきりとしてきた彼は隣の相手を起こそうと手を伸ばすが、彼女の特徴を思い出しその手を止める。どのように彼女を起こそうかと頭を悩ませながら彼はぼんやりと美桜の姿を眺めた。
　無防備な寝顔に、眠っている間の寝返りによって1番上のボタンが外れたのか僅かに乱れたパジャマ。それを見ていた彼は自然と自らの血が熱くなるのを感じる。
　

「情けない……何を考えているんだ、私は」
　

　頭に過った考えに自己嫌悪してから、それを払拭するべく左右に首を振る。その後起床を促すようにそっと彼女の頬をつつくが、美桜はそれから逃れるように相手へと背中を向けた。
　

「美桜、朝だぞ」
　

　今度は名前を呼びながら頬をつつく。彼女はもぞもぞと身体を動かしてから掛布団の中へと頭を沈めた。
　その姿に自然と小さく笑うようにしてから、男は美桜の頭をそっと撫でる。彼女はその手を振り払うようにしてから寝ぼけ眼をようやく彼へと掛布団の中から向けた。
　

「まだ早いから……今何時」
　

　目を擦るようにしながら、確実に不機嫌な声色で彼女は尋ねる。それを受けた彼が目覚まし時計へと手を伸ばしている間、徐々に覚醒し始めた美桜はようやく布団から頭を出した。
　

「8時半だな。久々にこんな時間に起きた」
　

　普段ならば数時間前に起床している彼は時計を見て日頃の行動を思い返しながら答えると、再び目覚ましをベッドサイドテーブルへと置く。その後再度美桜の方へと視線を向けると、起床してから始めて彼女と目が合った。
　寝起き故に彼の先程の話が頭に入って来なかったのか何とか目覚ましを見ようと美桜が相手に身体を寄せると、彼は改めて目覚ましを手に取りそれを彼女に見せた。
　

「何でこんな早くに起こすと……今日はお仕事夕方からなのに……」
　

　半ば頭は冴え始めては来たものの未だ眠気が残るのか、美桜はどこか不満そうに告げる。やがて暫く彼から視線を向けられている現状に気付いた彼女は、出していた頭を再び布団の中へと沈めた。
　

「あんまり見んとって……寝起き可愛くない……」
　

「そんな事は無いと思うが」
　

　美桜は今更ながら顔を見られまいと相手に対して背中を向ける。しかし否定をする彼の手が頭に置かれると、布団の中で動いていた美桜は再びゆっくりと顔を見せた。
　彼は一連の行動を眺めていたが、最終的に視線が自らへと向けられると彼女の髪をそっと撫でた。
　

「折角東京に居るんだ。行きたい場所は無いのか？」
　

「えーっ……無いかな」
　

　何とか彼女をベッドから出そうと彼が話を振ると美桜は困ったように間を空けてから、ようやく笑顔を浮かべつつも気の抜けたような声で答える。その後に彼女は再び相手との距離を詰めると、甘えるように額を彼の胸板の辺りに重ねた。
　

「みおたしゅね、もうちょっとこうしてたいの」
　

　恥ずかしいのか視線を上げずに彼女が言うと、噂に聞いていた美桜の口調に彼は僅かに驚いた表現を見せる。しかしながらすぐに落ち着きを取り戻すと、彼女を起こすことを諦めたように美桜へと布団をかけ直した。
　

「あっ、みおたしゅって言っちゃった……みんなには内緒にしててください」
　

　&nbsp;「話せるものか、このような事」&nbsp;
　

　顔を赤らめながらも視線を上げた美桜が恥ずかしげに言うと、彼は小さく息を吐いてから落ち着いた様子で答える。再び眠ろうとする彼女であったが、思い出したように彼は美桜の肩を軽く叩く。
　疑問に思った彼女が相手に視線を向けながら小首を傾げると、彼はその視線を避けるように顔を背けた。
　

「寝るのは構わないが、服は直せ」
　

「ふく？あー……」
　

　指摘をされた美桜は自らの格好を見ると納得したような声を上げる。その後、何かを言いたげにボタンを指先で弄び始めた。
　無言の時間が気になった彼が視線を戻すと、にこにことしている美桜に違和感を覚える。告げようとしている言葉が気になるのか、彼は何とかその意図を汲み取ろうと美桜が弄ぶボタンに注視した。
　

「実は、わさと外してたりして」
　

「何だって？」
　

　間違いなく美桜の声で告げられたものの、普段からは想像がつかない彼女の発言に彼は耳を疑う。だが美桜が未だにボタンを止めようとしていない事から聞き間違いではなく彼女の発言であったことを確信する。
　そう認識した直後にその場の雰囲気が変わった事を感じ取り、異質な緊張が走った彼は固唾を飲む。
　

「あらまぁ。本気にされちゃった」
　

　空気を和ませるかのように、いつも通りにこにこと笑う美桜。<span style="line-height:1.8;">しかしながやその笑顔は彼にとって少しだけ妖艶に映った。&nbsp;</span>


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［＃２字下げ］小嶋真子［＃「小嶋真子」は中見出し］

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［＃４字下げ］『寝坊』［＃「『寝坊』」は小見出し］

「遅刻しちゃう！」
　

　就寝をしていた部屋から飛び出した真子は大声を上げてから洗面台に向かって駆けていく。自宅ではないもののスムーズに洗面台へとたどり着くと、あの廊下を歩くのはもう何度目になるのだろうかとぼんやりと考えながら洗顔を済ませた。
　<span style="line-height:1.8;">　リビングに戻ると手際良く朝食を作る男の姿が目に留まる。普段ならば起床した時には出来ているはずの朝食が完成していないことに加え、自らが慌てて横を通り過ぎたのにも関わらず黙々と作業を続けていることに真子は苛立ちを覚えた。</span>
　

「何で起こしてくれなかったの！」
　

　真子の怒鳴る声にも動じない彼は相変わらず口を開くことなく食器の用意を進めていく。男が真子の方に目を向けたのは朝食の盛り付けを全て終えた後だった。
　

「何をそんなに怒っているんだ。あとは髪の毛、跳ねているぞ」
　

　真子からの怒りの声もどこ吹く風といった様子で男は配膳を進めていき、全てをキッチンからリビングのテーブルへと運んだ後にようやく彼が口を開く。舌を出して悪態をついた真子は髪を直すべく再び洗面台に立つと跳ねている髪を手櫛で直し始めた。焦る彼女の心境とは裏腹に髪の跳ねは強く、数回手櫛を通しても元の位置へと戻る。真子は泣きそうになった。
　

「もうっ、なんでこんな時に限って……」
　

　涙目になりながらも真子は必死に髪を梳かす。鏡に映る思い通りにならない自分へと愚痴を溢していると遅いことが心配になったのかキッチンに居たはずの彼が真子の元を訪れる。手に櫛が握られているのを見た真子はそれを取ろうとするが彼はそれを届かない位置へと掲げる。真子は不満そうに口角を下げながら櫛を持つ相手へと背中を向けた。
　

「遅れたら、どうするんですか」
　

「さっきから苛立っていたのはそれが理由か」
　

　急ぐことよりも怒りの感情が勝ったのか、はたまた間に合わないと開き直ったのか先程までの行動が嘘のように真子は落ち着いていた。発する言葉によって真子は苛立ちを露にしながらも、後ろから櫛で髪をゆっくりと梳かす彼へと身を委ねる。
　

「今日の集合時間は変更になっただろう。収録の合間にスタッフが連絡していたではないか」
　

　彼の言葉を受けて真子ははっとする。昨日の撮影中にスタッフからの連絡があったことが彼女の脳裏へと鮮明に思い出されるが、撮影を終えた後のことが気掛かりになっていた真子はそのことを完全に忘れていた。
　真子が唖然としている間に跳ねていた跡は無くなり、いつも通りの真っ直な髪へと戻る。櫛を流し台へと置いた彼は確かめるように真子の髪へと指を通した。
　

「あの……ごめんなさい。私が一人で勝手に勘違いしてたのに」
　

　髪と指先とが交わりが無くなったのを感じ取ってから、真子は申し訳無さそうに振り返った。自らの勘違いによって相手を責めた罪悪感からか目にはうっすらと涙が浮かぶ。
　彼の指が真子の涙を拭った後、掌が頭へと重ねられると慰めるように柔かく弾む。言葉を介しない彼からの優しさに真子は小さくはにかんだ。
　

「朝食を冷める前に食べなくては。食べた後には嫌な事もきっと忘れる」
　

　頭から手が離れたのを名残惜しそうにしていたが、朝食の話が出ると真子は力強く頷く。先行して戻る彼へと腕を絡ませると、歩幅を合わせてリビングへと戻った。
　

　　　　　　　　　　　☆
　

　全ての支度を終えた真子はリビングの椅子に座り時間が来るのを待つ。そこに洗い物を済ませた彼が向かい合う形で座ると彼女はにこりと笑顔を向けた。
　昨日の撮影での話を中心に会話を行っていたが、予定の時間が近くなった為か彼が椅子から立つと真子もそれに釣られるように立ち上がった。
　

「今度はいつになるかなぁ」
　

「頻繁に来るものではない。今回はどうしても場所が無かったというから泊めただけだ」
　

　充実した時間が過ごせたことに真子は浮かれていたのか、わざと相手へと聞こえる声量で呟く。しかし彼女の期待は出掛ける用意を進める彼の一言によって儚くも消え去った。見向きもしない彼の態度に先程まで緩みっぱなしだった真子の口元も今では再び口角が下がった状態になる。
　何とか振り返って貰いたい真子は彼の元へとぱたぱたと駆け寄り服を掴む。一旦は視線を向けられるが、再び彼は作業へと目を戻した。
　

「何でですかぁ。せっかくこんな関係に……」
　

「こんな関係？彼女にでもなったつもりか？」
　

　子供のように相手の服を何度も引っ張りながら真子は自らを主張するが、全く動じない彼からの冷たい言葉に彼女は握っていた服を手放す。余程のショックだったのか真子は俯きながら先程まで座っていた椅子に向かうと力無く再び腰を下ろした。
　服を引く感覚が無くなったためか後ろを振り返ると椅子に座りひちひしがれている真子が目に入る。彼女の元に近付くとしゃがみ込んで落胆している相手と目の高さを合わせると、真子も視線を隣に来た彼にゆっくりと移す。
　

「覚えているな、約束は」
　

　真子は小さく頷く。悲しみが薄れクリアになり始めた彼女の頭の中では自らの想いを告げた日の事が自然と思い出される。
　“グループを卒業してから一人の女性としての認識を持つ”
　半ば諦めながらも想いを告げた真子にとっては充分過ぎる結果だった。しかし数日が経過し興奮が落ち着くと、交わした約束に次第に不安を抱き始めた。
　

「だって、それっぽいこと何にもしてくれないから……心配で」
　

　受け入れもしなければ拒否もしない。そして約束を交わしてからも自らとの接し方に何の変化も無い。それだけではなく彼はグループ内の重要人物であり、多くのメンバーから慕われている事が真子の不安をより一層大きくした。
　弱々しく吐露した彼女の言葉がそうさせたのか、彼もまた先程の椅子へと座る。彼からの真剣な雰囲気を感じ取った真子も居住まいを改めた。
　

「グループに在籍しているんだ、両想いになってはいけない。自分だけではなく、私の想いも少しは察して欲しいものだな」
　

　何を言われても平常心でいよう。そう決心していた真子であったが初めて耳にした相手の心境に目をぱちくりとさせる。彼の言葉の意味を頭で理解した時には膨らんでいた不安は小さくなり、代わりに安堵と喜びで満たされていくのを真子は感じた。
　&nbsp;
「それ、どういう意味ですかぁ？」
　

　何事も無かったかのように彼は準備を再開すべく席を立つ。嬉しさを抑えきれない真子は相手の背後へと忍び寄ると後ろから腕を回した。身体を密着させたまま、彼が準備を進める様子を真子は後ろから眺める。
　しばらくして用意が済んだことを確認すると回していた腕を外し相手から身体を離す。振り返った彼と目が合うと真子はにやけ顔のままほんのりと熱の籠った頬を両手でおさえた。
　

「そろそろ時間だ。切り替えろ、真子」
　

「はい！じゃあ……行ってきます、先生」
　<span style="line-height:1.8;">
</span>
　<span style="line-height:1.8;">　浮かれていた表情を払拭するように左右に首を振った後、深く呼吸を数回繰り返してから顔を上げる。その際に笑う真子の表情は先程までの浮わついていた面影は一切無く、屈託の無い笑顔を彼へと見せた。</span>



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［＃２字下げ］桜井玲香［＃「桜井玲香」は中見出し］

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［＃４字下げ］『甘々』［＃「『甘々』」は小見出し］

「わかちゅきー！」
　

　お気に入りの相手の名前を呼びながらぱたぱたと背後へと駆け寄ると、雑誌を眺めている相手を後ろから勢い良く抱き締める。それが普段から見られる光景の為か楽屋内のメンバーはそれに反応を示すこと無く、玲香から名前を呼ばれた相手だけが彼女の方を振り返った。
　

「あ、玲香。おはよ」
　

　独特の呼ばれ方をされていたことで自らへと身体を寄せているのが玲香であると察していた若月佑美は、簡単に返事をすると手元にある雑誌へと意識を戻す。簡単にあしらう佑美に何とか構って貰おうと玲香は相手の身体を揺らするが、彼女の注意は相変わらず雑誌へと向けられていた。
　暫く経っても何の反応も見せない事に納得がいかない玲香は拗ねたように軽く頬を膨らませる。しかしながらその後に名案を閃いたのか、玲香は背中から離れると佑美の前へと移動をした。
　

「わかちゅき、わっ！わっ！」
　

　正面に回った玲香が両掌を見せるお決まりのポーズを取ると、我慢出来なくなった佑美から笑いが溢れる。ようやく反応を示した事が余程嬉しかったのか玲香は再び相手の身体へと腕を回した。
　雑誌を閉じた佑美は困ったように笑いながらも満更ではない様子で相手の行為を受け入れる。
　

「もう、やーっと笑ったぁ」
　

「玲香引っ付きすぎだってば。そんなんだから皆からガチって言われるんだよ」
　

　玲香は抱き付いたまま彼女の頭へと自らの頬を重ねる。そのまま暫く動こうとしない玲香を茶化すように言った佑美はそっと彼女の身体を離すと収録の用意を始める。引き離された玲香は不満そうにしていたが、鏡の前に移動した佑美の隣に行くと撮影前のチェックを行っている彼女をぼんやりと眺める。見られている事が恥ずかしいのか佑美がはにかむと、玲香は今度は彼女の腕へと自らの頭を預けた。
　メンバー全員が用意を済ませた頃合いになると控え室のドアが開く。入ってきた人物に視線を集めた彼女達は、それぞれ頭を下げてから挨拶を行う。
　

「皆、もうすぐ本番だ。スタジオに向かってくれ」
　

　スタッフからの指示を受けたメンバーは返事をしてからスタジオに向かっていく。全員が控え室を出ていく様子を見届けてからようやく玲香は座っていた椅子を立った。
　自らも移動を開始するが彼女の足はスタジオに向かう控え室のドアの方面ではなくメンバーを呼びに来たスタッフの方へと向かった。
　

「ふふふっ。わっ！」
　

「何だ、もうすぐ本番だと伝えたはずだが」
　

　先程佑美に行ったものと同じポーズを取りながら、玲香は満面の笑みで相手へと声を発する。しかし彼は大きな反応も見せず控え室で一番最後となった彼女を急かした。
　素っ気ない反応を見せられた玲香は納得していないのか、受けた指示に反して相手の前から動こうとしない。その表情には僅かに悲しげな様子が浮かんでいた。
　

「なんかいつもに増してツンツン……あ。ひょっとして、わかちゅきといちゃいちゃしてたからヤキモチ妬いてるんだ。可愛いなぁ」
　

　顔色を全く変えない彼をまじまじと見ながら、玲香は違和感に首を捻る。その直後にたまたま頭に浮かんだ理由を彼の答えを聞くことなく相手の機嫌が悪い理由と定めると、一人納得したように頷き話を進める。
　自己解決による達成感によって調子を良くした玲香は彼の頬をつつこうとするが、触れる直前になって相手はその指先を避けた。
　

「無駄話している暇があるのか？そんな事だからメンバーに遅い、ポンコツだと言われるのだろう」
　

「いいの。こうやって元気充電しなきゃいけないんだから。ぎゅー！」
　

　頑なに移動をしようとしない玲香に対し彼は怒りによってスタジオに向かわせようと謀る。しかし全く気にする素振りも見せずに彼女は言い返すと自らの腕を広げた。完全に油断していた彼は玲香の狙い通り背中へと腕を回される。
　相手を捕らえた腕に力を加えながら、玲香は彼の胸の辺りに顔を埋めた。彼女の声色が猫撫で声だった事を思い返し、彼は玲香が完全に甘える体制に入ってしまった事態を察した。
　

「こんな場所では止めろと……」
　

「今日はたくさんツンツンしてるから、長く充電必要かも。ぎゅー」
　

　場所が場所である為に、彼は目撃者がいないか辺りを見渡して確かめながらも玲香を引き離そうとする。そんな彼の行為が彼女を焚き付けたのか玲香は絶対にはなすまいと回している腕になお力を込めた。
　

「玲香、何して……あっ」
　

　突然ドアの開く音がすると、遅い玲香を心配してか佑美が控え室へと戻ってくる。そんな彼女の視線の先にスタッフを離そうとしない玲香が映り、佑美は衝撃を受けて絶句した。
　相手が入ってきてから少し遅れて彼は現状を理解する。慌てて玲香を押し返そうとするが、見つかってもなお彼女は腕の力を緩めずに彼へと密着し続けた。
　

「えっと……ご、ごめんなさい。みんなには上手く言うので……ごゆっくり……」
　

「待て、佑美。」
　

　無理に笑いながら数回頭を下げ、佑美は後ずさるように控え室を立ち去る。説明をする必要があると判断した彼は佑美の後を追おうとするが、身動きが取れずそのまま彼女を見送る形となる。
　説明の機会を無くした相手を問いただそうと彼が視線を落とすと、埋めていた顔を上げて何かを言いたそうにしている玲香と目が合った。
　

「大丈夫。若月にはちゃんと説明してるし、理解してくれてるから」
　

　確実に意気消沈していることが見て取れたのか、玲香は相手を元気付けようと明るく言う。そのフォローの言葉を受けてもなお頭を悩ませている彼であったが、玲香の腕の力が緩んでいる事を感じとり自らの身体を遠ざけた。
　

「ほら、終わりだ。早くスタジオに行くんだ」
　

「えー？まだ足りないよー……」
　

　落胆のあまり溜め息を吐きつつ身嗜みを整える彼はもう1度彼女を促す。寂しそうに言う玲香は再び彼へと腕を回そうとするが、額に手を置かれた事によって接近が阻止される。
　ばたばたとしていた玲香であったが、時計を見るとやがて大人しくなる。その後鏡の前へと足早に移動すると自らの映る姿を確認した。
　

「さらりと言っていたが、重大問題だぞ。何度言わせる、場所は選べと……」
　

「ふふふ、若月からの質問攻めは覚悟しててね！」
　

　彼の説教を聞き流しながら相手へと近付くと、玲香は背伸びをして彼の頬に口付けをする。動きを止めた彼を残して玲香は控え室を出る。
　自らの口付け彼ので言葉が止まった事を思い返し、機嫌を良くした彼女の足取りは軽かった。


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［＃２字下げ］中元日芽香［＃「中元日芽香」は中見出し］

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［＃４字下げ］『茶道』［＃「『茶道』」は小見出し］

「日芽……」
　

　自らが探す相手の居る部屋を開けて名前を呼び掛けるが、粛然とした雰囲気に彼は口を閉ざす。その視線の先には小さな日本庭園を一望できる和室に1人で座り、抹茶を点てる日芽香の姿があった。
　名前を呼ばれた彼女は一瞬男の方を見るが、直ぐに作業を行う手元へと視線を落とす。その後彼女は抹茶を点て終えると、訪れた相手に深く頭を下げてから完成したそれを差し出した。
　

「すまないな、頂こう」
　

　彼女の元へと歩みより静かに畳へと座ると、作法に従って目の前に置かれている抹茶へと口をつける。その茶器が置かれるまでの間、日芽香は相手を無言のまま見つめる。茶器から手を離した彼は少し間を空けてから自らの視線を彼女の方へと送った。
　

「腕を上げたな」
　

「褒めてくれてるんですか？それって」
　

　真剣な表情を見せていた日芽香であったが、彼からの単純な答えによって苦笑いながらもようやく固かった彼女の表情が和らぐ。それで落ち着いたのか先程彼が手にしていた茶器に自らも口をつけると、ゆっくり抹茶を味わうようにして一息吐いてからそれを静かに置いた。気持ちを切り替えるように居住まいを改めてから日芽香は軽く目を閉じると、暫くしてから目の前へと座る相手に視線を戻す。
　

「よく分かりましたね、私がここにいるって」
　

　以前気持ちが落ち込んだ日芽香が相談を持ちかけると、彼から自宅を訪問することを勧められた。それの助言に従って一度訪れた後も、彼女は自らの気持ちを落ち着ける際にはこの場所を訪れていた。
　しかし今回に関しては彼に連絡をしないままこの場合を訪問していた為に、自らが訪れていることを相手な知っていたために疑問が生じる。
　

「ああ、言伝を受けてな」
　

　彼の答えを聞いて日芽香は数回小さく頷く。突然の訪問にも関わらず彼の母親は和室を使用する事を快諾した。そんな自分を心配に思った彼の母親が相手へと連絡をしたのだろう、と日芽香は一人納得をした。
　

「ここに居るだろうって予想されたのかと思っちゃいました」
　

　彼は日芽香がどのような時にこの場所を訪れているかを知っていた。よって、彼女が意図せずともその予兆を見せていた場合にはここを訪れていることを推測できる。今回彼がこの場所に来ていることを知っていた理由に、日芽香は安堵しながら言葉を続けた。
　

「しかし、先程の発言だが……」
　

「あっ……あれは気にしないで下さい」
　

　気持ちを切り替える為にこの場所を訪れて、抹茶を点てる。訪れる回を重ねる毎に日芽香の抹茶を点てる腕は上達した。
　今回点てた抹茶を口にした彼からその腕を褒められた際に、日芽香は自然と訪れた回数が多くなっている事が頭に浮かんだ。
　そんな事から先程出てしまった否定的な発言について彼から切り出されると、日芽香は慌ててそれを否定する。
　

「良いことではないか、頭の中を一度真っ白にして考え直すのは。茶道はただの副産物だ」
　

「ふふ、お母様に怒られちゃいますよ？」
　

　彼は日芽香の胸中を察したのか、茶道の道具へと一旦目を向けるようにしてから告げる。しかしそれがおかしかったのか、日芽香がようやく表情を綻ばせると理由が分からない為か答えを待つ彼はまじまじと彼女の顔を眺める。
　

「前言撤回、としておこう」
　

　楽しげな声色で述べられた答えに彼は暫く返す言葉を失っていたが、やがて観念したように額を抑えながらやむなく訂正する。彼の様子を見てくすくすと笑っていた日芽香であったが、その後に茶器を何気無く手に取ると中に残っている抹茶へと視線を落とした。
　

「でも、抹茶って私の中の乃木坂とよく似てるんです……力が無さすぎると上手く混ざりきれないし、力入れすぎちゃうと苦くなっちゃって。ふんわり、甘い感じを残すにはちょうど良い力の加減があって」
　

　抹茶を茶器の中で揺らすようにしながら、それをぼんやりと眺める日芽香は告げていく。静かに耳を傾けていた彼であったが日芽香の思い悩んでいる様子に見兼ねてか、彼女が手にしていた茶器を自らの手元に移動させる。突然の事に驚いた日芽香は顔を上げて行動を起こした相手に視線を送った。
　

「苦い？」
　

「ちょっと、昔はやり過ぎちゃったかなぁって。苦い思い出というか……」
　&nbsp;
　相手から促されると、過去に行ってきた自分自身の言動を思い出して日芽香は苦笑いを浮かべる。その顔を見た彼も日芽香の一昔前のキャラクターを思い出したのか納得したように頷いた。
　その後、彼は何を思ったのか1つ咳払いをする。
　

「乃木坂1の甘えん坊で、寂しがり屋な……」
　

「もう、意地悪言わないで下さいっ！私は真剣なのに」
　

　彼が突然口にした自身の初期のキャッチフレーズを聞き、日芽香はあたふたとしながらそれを中断させる。恥じらいと腹立だしさの入り雑じった複雑な感情を抱いた彼女は、頬をわずかに膨らませてそっぽを向く。
　

「気に障ったならばすまない。しかし、全力でも良いじゃないか。確かに甘みが残れば受け入れ易くなる。だが、苦味が強ければ相手には深く残る。快不快は別問題だろうが、日芽香達の職柄で相手に深く残る事は大きなメリットだろう？」
　

　彼は簡単に謝罪の言葉を述べると、その後は淡々と自身の見解を口にしていく。穏やかな声で勧められる話に納得のいく部分がある為か、日芽香は静かに耳を傾けながら相槌を打つ。
　相手からのまじまじと見つめる視線に自らが話し過ぎたと感じたのか、彼は話を中断してからもう1度咳払いをした。
　

「とにかく苦かろうと甘かろうと、それが日芽香の味だ。その味を口に合わせてくれる人間なんて極稀だろう。受け入れてくれるのはその味が味覚にぴったりと一致した人間か、その味に慣れてきた人間なのだから。」
　

　相手の話に日芽香ははっとする。<span style="line-height:1.8;">無理に好きになって貰ったところでそれにはなんの意味もない。大切なのは自らの魅力に気付き、夢を応援してくれる人達に喜んでもらうことだと改めて実感した日芽香は真っ直ぐに彼を見ながら力強く頷いた。</span>
　

「日芽香の味……なんか恥ずかしい……えへへ、先生はやっぱりお母様みたいに優しいですね。きっと、先生なりの励ましなんですよね？」
　

　抹茶の点て方を教えてくれた彼の母親は落ち着いており、言葉の1つ1つから温かみを感じた。普段は冷静すぎる程の彼ではあるが、先程の主張から相手の母親のものと似たような温かさを感じ取った日芽香は嬉しげに頬を緩めた。
　

「さあ、どうだかな」
　

　母親の話が出ると彼はばつの悪そうな様子で答えをはぐらかす。しかしながら楽しげに笑う彼女を見て認識を覆す事が困難であると察した為か、小さくため息を吐くと日芽香から目線をそらした。
　

「けど、ひめは苦くないんです。とおーっても甘いんですから」
　

　その直後、ふんわりとした甘い香りが彼の鼻孔をくすぐる。視線を戻すと自らの胸元に頬を推し当てている日芽香が自らに密着し、その腕を背中へと回していた。うっとりとした目を向けて甘えるように告げる日芽香に、彼は頭を悩ませているように頬を掻く。
　

「あっ、ダメですよぉ。今のひめたんは誰のものでも無いんですから。先生からするのはダメです」
　

　甘えてくる日芽香を受け入れようと彼も腕を回そうとするが、それを察した彼女は頬を彼の胸に当てたまま意地悪そうに相手へと告げた。釘を刺された為に行き場を失って彼の腕は宙を漂っていたが、やがて日芽香の両肩へと落ち着く。
　

「スイッチが入ったらみんなのものだから、と言うんだろう？」
　

「えへへ、大せいかーい。」
　

　満足したのか日芽香が自らの身体から離れると、彼は飽きれ半ばながら問い掛ける。しかしながら彼女はそんな事を全く気に留めないような満面な笑みを返しながら相手へと答えた。
　

「表情が明るくなった。復活か？」
　

　和室を訪れた時と比較して格段に顔色が良くなり、表情も生き生きとしている彼女に問い掛ける。その彼の安心している様子が伝わったのか日芽香は尋ねられた際に思わず広角が上がってしまうのを隠すべく、口元を両手で隠した。
　

「いつまでも、こうしてられませんから。スイッチオンしました！アイドルひめたん復活です！」
　

　問われた日芽香はピースサインを相手へと見せながら満面の笑みを向ける。彼女の口から答えを直接聞き、心配が無くなった彼も小さく頷く。その際に目に留まった彼女のピースサインを見て、彼の頭には自然と1つの事が思い浮かぶ。
　

「では、いつものやっておくか？」
　

「えへへ……やだ」
　

　何を要求されたのかを日芽香は瞬時に察する事が出来たが、彼女は悪戯っぽく笑いながらやんわりとそれを拒否した。&nbsp;


［＃ページの左右中央］

［＃２字下げ］秋元真夏［＃「秋元真夏」は中見出し］

［＃改ページ］

［＃４字下げ］『看病』［＃「『看病』」は小見出し］

「お邪魔しまーす」
　<span style="line-height:1.8;">
</span>
　<span style="line-height:1.8;">とある日、</span><span style="line-height:1.8;">体調を崩していた男の部屋の鍵が勝手に解錠されると聞き覚えのある声が室内へと響く。聞き間違いであると願う彼であったが、その期待も虚しく寝室からリビングへと足を運ぶと買物袋の中身を整理していた真夏の姿が目に映った。</span>
　

「あっ、ごめんなさい！勝手にお邪魔しちゃって」
　

　買物袋の中身の整理を終えた真夏は相手に向かってにこりと微笑む。しかしながら男はそれに反応を示すことなく自らにマスクを着けると、もう1枚手にしていたマスクを彼女へと差し出した。マスクを受け取った真夏は彼の促し通りにそれを装着すると、もう一度にこりと微笑みかける。
　

「何故来た。真夏の身体が弱い事くらい私も知っている」
　

　彼にとって真夏が来てくれたことはとても喜ばしいことであった。しかし彼女自身が風邪を引くことが多いことを知っていた彼は自分が原因で相手に移る事を心配してあえて辛辣な言葉をかける。そんな言葉を受けながらも真夏は笑顔を絶やす事無く、さらに1歩相手へと歩み寄った。
　

「でも、先生真夏に来て欲しかったんでしょ？それに……」
　

　風邪の影響もあってか彼のいつも以上に抑揚の無い言葉とは対称的に、真夏は嬉々としながら彼へと返事をする。その後何かを言おうか言うまいか悩んでいる為か、1度彼から視線を外して横へとそらした。
　しかしながらすぐに決心が着いたのかすぐに視線で彼を捉えると、真夏は笑顔を浮かべた。
　

「先生の風邪が移っちゃうなら、どきどきしちゃうかも」
　

　話始めた途端に色っぽい目付きへと切り替えた真夏であったが、先程と同様に彼は動じる様子を見せない。それどころか何事も無かったかのように彼女の横を通り抜けるとキッチンに置かれていた食材へと目を向けた。
　

「馬鹿を言ってるんじゃない。」
　

　その食材からうどんを作ろうと予定していた事を知った彼は自ら調理をしようと器材を取り出そうとするが、パジャマの袖をぐいぐいと引っ張る真夏によって阻止される。再度何かを言うのではないかと疑った為に目だけで真夏の方を確認するが、その表情に僅かながら落ち込んでいる色が見られた為か彼は器材を取り出す作業を断念した。
　

「ちょっとくらい、反応してくれても良いのに。あ、お風呂場の着替える場所借りますね？」
　

「何をするんだ？」&nbsp;
　

　彼女は少し寂しげに告げていたが、何かを思い出したように手を鳴らすと持参していた大きめの鞄を手に取った。その鞄が気になる事に加え何か嫌な予感を感じ取った彼は真夏へと問い掛けると、彼女は悪戯っぽく笑う。
　

「ふふふ、内緒。あ、覗いちゃ駄目ですよー？お熱上がっちゃいますからね」
　

　明確な答えを出さずに真夏は笑いながら言うとそのまま浴室の脱衣所へと入っていく。残された彼は料理の用意をしようとするが先程の彼女の表情が思い出された為、リビングへと引き返すと真夏が戻ってくるのを待った。
　暫く時間が経過し、にこにこと笑いながら真夏が彼の前へと帰ってくる。その際に彼女の服装が先程までのものとは異なりナース服へと変わっているのを見て、彼は絶句する。
　

「ふふっ、まナース姿にずっきゅんされちゃいました？」
　

　まじまじと自らの姿を眺める彼の様子に、真夏は両頬を手で覆うようにしながら尋ねる。しかしながら衝撃の余り声を失ってしまった彼はそれに対しての返答が出来なかった。
　彼の無言の時間が流れやっと落ち着きを取り戻した際には、呆れのあまりか深々と溜め息を吐く。
　

「先生？ひょっとして……肩見せの方が好みでした？でもほら、チャームポイントの太股は……」
　

「作るならば、早く作って貰いたいのだが。出来れば早く休みたい」
　

　自らの太股の辺りを指差すようにしながら真夏はアピールをするが、彼はそちらを見る事もなくリビングの椅子に座った。頬を膨らませて拗ねたことをアピールするものの、それにさえ目を向けて貰えずがっかりとした真夏は一旦しょんぼりとしてから調理を行う用意を始めた。
　

　

　順調に調理が進み手際よく完成させると、出来上がったうどんを彼の前へと運ぶ。箸や冷たいお茶等の食事の配膳を完璧に済ませた彼女は迷うことなく彼の横へと座ると、彼が箸を手に取る前に自身がそれを握った。
　

「じゃあまなったんが……」
　

「いい、自分で食べれる。」
　

　笑顔で真夏は箸を動かし始めるが、麺を掴む前に握っていた箸を彼が取り上げると自らの手で握り直す。その後彼は食べ始めようとするが、口へと運ぶ前に真夏の表情を見ると目元が潤んでいることに気付く。
　

「そんな顔をするな。」
　

　一旦箸を置いた彼は隣の相手に身体の正面を向けるように居住まいを改める。それによって自身が泣きそうになっている事を知られていると察した真夏は反射的に彼から顔を背けた。
　

「だって……せっかく元気づけてあげようとしてるのに……」
　

「元気づける？釣ろうとしてるようにしか見えないが」
　

　彼女は涙声になるまいと平静を装って告げるが、その声は自然と震える。相変わらず目を合わせないようにしていたであったが、彼がさらりと口にした言葉を受けて何か思うことがあったのか真夏は顔を正面へと向ける。
　

「それは……だって、先生に夢中になって欲しいじゃないですか」
　

　いつもの愛嬌を前面に出したものではなく今にも泣きそうにながらに告げられたそれに、彼は困ったように自らの額へと手を置く。やがて小ささ息を吐いた彼は左右へと小さく首を振った。
　

「真夏。合鍵さえ渡しているんだ。これ以上何をどう夢中になれと言うんだ？」
　

　簡単にその旨だけを伝えると、照れ隠しの為か身体をテーブルの方へと戻すとうどんを食べ始める。それを聞いた真夏は暫く硬直していたがやがて再び両頬を抑えながら身を乗り出した。
　

「ふふっ、風邪が治ったら……真夏のこと、好きにして良いよ？」
　

「近寄るな、風邪が移る。それに今の台詞は言っただけだろう」
　

　完全に機嫌が良くなった真夏は更に距離を詰め、頬を赤らめながら猫撫で声で言うが、相変わらず落ち着いた様子で反論する相手に押し戻される。
　

「今のはさすがにどきどきして貰えるかなぁって恥ずかしいの我慢して言ったのに！」
　

　反応を返さない相手に思いきり頬を膨らませながら真夏は抗議をするが、やがて彼に向けて穏やかに微笑む。
　素っ気なく黙々とうどんを口にしていた彼であったが、真夏が訪れてから彼の顔色は格段と良くなっていた。


［＃ページの左右中央］

［＃２字下げ］衛藤美彩［＃「衛藤美彩」は中見出し］

［＃改ページ］

［＃４字下げ］『帰宅』［＃「『帰宅』」は小見出し］

「あっ、おかえりなさーい！お疲れ様」
　

　男が帰宅したという事をドアの音で察すると美彩はにこりと笑顔で出迎える。彼の帰宅を出迎える際に毎回行っているように手を差し出すと、彼は手にしていた鞄を美彩へと渡す。その後、靴を脱いでから手を洗うという一連の流れを美彩は無言のまま眺めていた。
　帰宅後いつも行っている作業を終えて、彼はようやくここで美彩へと顔を向ける。
　

「すまないな、折角来ていたのに」
　

「ううん、お仕事だもん。仕方無いよ」&nbsp;
　

　本来は2人共オフであった為に美彩は彼の元を訪れていたが、部屋で過ごして暫く経った頃にスタッフから仕事の手伝いをして貰いたいと突然連絡が入る。帰宅する時間が未定であった事から彼は美彩へと帰るよう促したが、彼女はそれを受け入れなかった。
　予想していた時間よりも大幅に遅くなった為に彼は謝罪の言葉を告げるが、美彩は再び首を左右に降ってにこりと柔らかく笑った。その後普段ならばリビングに向かうはずだか、美彩は彼の進行を妨げるように動かなかった。
　

「何だ？」
　

　違和感を感じる彼は理由を聞きながらも彼女をなんとか避けて通ろうとする。なんとか抜けることが出来たものの、美彩が服の裾を突然握った為に再び足を止める事となる。そんな美彩の顔にはどこか悪戯な笑みが浮かべられていた。
　

「ふふっ。実はね、お風呂たまってるんだぁ。美彩と一緒に、入ろ？」
　

「断る」
　

　美彩ははにかみながら甘えるような声色で告げるが彼は迷うことなく拒否をする。その際に握られていた裾が離された為に彼女を廊下に残したままリビングへと辿り着くが、すぐに目の前へと美彩が割って入ってくる。
　

「なんでー、この前は入ってくれたのに！」
　

　紅茶をいれる用意をしている彼の服を引っ張りながら駄々をこねるように美彩は訴えるが、彼は彼女に目すら向けずに作業を続けていく。彼が手に取ろうとした茶葉を横から美彩が取ったことによって作業を中断せざるを得なくなり、呆れたように息を吐いてから顔を彼女へと向けた。
　

「語弊のある言い方だな」
　

　どこか面倒そうに答えながら彼女が手にしている茶葉の入った容器を取り返そうとするが、美彩は伸ばしてきた彼の手からその容器を遠ざける。2度目に伸ばされた手からも同じように遠ざけると、彼は何かを言おうとするがそれを飲み込んで別な茶葉を取り出す為にキッチンの棚を再び開けた。
　別なものを手に取った彼を見て美彩は自らが手にしていた容器をキッチンに置くと、悪戯っぽい表情を見せながら彼へと視線を送った。
　

「じゃあ……ばらしちゃうよ、あれ」
　

　美彩からくすりと笑って告げられた言葉に、男はぴたりと作業を中断する。艶っぽい視線を向けられている事に気づいた彼は、紅茶の用意していた手を止めながら彼女の言葉に耳を傾けていた。
　自らの話を聞いてくれる姿勢を見せる相手に、美彩は満足そうに微笑む。
　

「良いのかなぁ？あーんなことしちゃったら、普通許されないと思うけどなぁ」
　

「今の状況もな」&nbsp;
　

　数週間前、彼はメンバーがスタジオに向かった後に控え室に鍵をかける仕事を任された。施錠をする直前になって中から物音が聞こえた為、不信に思った彼は様子を伺おうと控え室を覗き込む。その視線の先には慌てて衣装を着ている美彩の姿があった。
　彼は謝罪しながらすぐに扉を閉めると、彼女が出てきた際にも改めて謝ろうと美彩が出でくるのを待つ。しかしながら控え室から出てきた彼女は何も言わずどこか艶やかな笑みを向けると、彼が謝罪をする前にスタジオへと向かっていった。
　その事件以降、美彩は口止めとして彼の部屋を訪れるようになった。それだけではなく彼女は自らの要望を述べる度にその事件について触れ、彼はその度に美彩の言われるがままに従った。
　

「分かってるよ……軽蔑されてることも、美彩のことが本当は嫌いな事も。けどね、私にはこうするしか無かったの。先生は……絶対に振り返ってもくれないから……」
　

　呆れたように告げる彼からの言葉によって耐え切れなくなったのか美彩は話題を切り出した時の自信ありげな様子から打って変わり、今にも泣き出しそうになっていた。良心の呵責に苛まれているのか美彩は俯いたまま自らの心境を吐露していたが、やがて涙が零れないように顔を上げた。
　

「自分に嘘を吐きながらこうしてまで満足なのか？」
　

　彼は静かに美彩の主張へと耳を傾け、相手が全てを話終えた後に再び小さく息を吐いた。先程の冷淡な声色ではなく穏やかな調子で彼女へと尋ねながら、彼はハンカチを差し出す。
　美彩は小さく会釈をしてからそれを受け取った。
　

「騙し騙しになってるのは美彩も分かってる。けど……良いの。先生と一緒にいられるなら、それで。」
　

　拭ったはずの涙であったが、再び話を再開すると抑えきれずに彼女の目が潤む。それが頬を伝いながらも美彩は何とか微笑むようにして自らの想いを彼へと伝えた。
　借りたハンカチを返すべく彼女から差し出されると彼は暫くそれを無言で眺めてから受け取り、胸元のポケットへとしまいこむ。
　

「周りに話したいならば勝手に話せ。私にとっては大した痛手にはならない」
　

　沈黙が続いていた中で男が突き放すように言うと、そのまま美彩の横を通ってリビングへと戻る。混乱している美彩は先程まで彼が居た場所を眺めていたが、やがてリビングに向かった相手へと詰め寄った。
　

「でも！先生はそれが困るからこうやって私の我儘も断れないで……」
　

「美彩の我儘だから断れなかったのではない。美彩の我儘だから断らなかったんだ」
　

　自らの想定していた流れとは異なりながらも思い通りに事が進んでいた事に疑問を抱く美彩は彼へと問い詰める。その問いが告げ終わらないうちに彼が淡々と返事をすると、その答えの意味ができない美彩は呆然と立ち尽くした。
　

「えっ？」
　

　時間差がありようやくその意味が理解出来てくると、美彩は驚居たように言葉を溢しながら口元を掌で覆う。信じられないといった様子で相手に目を向けるが、彼は視線を合わせることを拒むように彼女へと背中を向けた。
　再び美彩は泣きそうになりながら、心拍数が跳ね上がっている自らの胸を押さえた。
　

「脅迫だの強要だのされては、従う他ない」
　

「先生っ！」
　

　雰囲気に耐えられなくなった彼はその場から離れて暫く自らの自室へと閉じ籠ろうと逃亡を謀る。しかしそれを逃がすまいと美彩は背中を向けた彼へとぶつかるような勢いで飛び付き、後ろから手を回す。
　

「美彩のこと、好き？」
　

　しっかりと彼に手を回している美彩は自らの頬を彼の背中へと密着させながら、うっとりとした面持ちで彼へと尋ねる。彼の返答を待つ間、彼女は心地良さそうに目を静かに閉じた。
　彼は自らに回されている腕を外すようにしてから、美彩の方へと身体を向ける。しかしながら何も言わないまま踵を返すとどこかに向かって足を進め始めた。
　

「どうせ今日も背中を洗わせるのだろう、全く」
　

　その一言で浴室に向かっていると察した美彩はくすくすと笑ってから、急いで彼の前へと先回りをする。脇をすり抜けて現れた美彩によって、彼は進む足を止められた。
　

「前みたいに変な期待したら駄目だぞー？」
　

「別に何の期待もしていない」
　

　からかうように告げる美彩を簡単にあしらってから横を抜けようとするが、先に進ませまいと美彩が相手の正面へと身体を移動させて進路を阻む。そんな彼女の表情には今まで要望を押し付けていた時と同じように悪戯ながらも艶やかな笑顔が浮かんでいた。
　

「嘘だぁ！前に背中洗ってくれた時、美彩の事えっちな目で見てたでしょー。スタッフさんが、商売道具を傷付けるわけにはいかないよねぇ？」
　

「少しは、言動を一致させて欲しいものだな」
　

　楽しそうに言う美彩の肩に手を置いて半ば無理矢理横に移動させると彼は浴室の脱衣所に足を踏み入れようとする。しかしながら部屋に入る直前に突然ドアが半分ほど閉まり、彼は鈍い音をたてて額をぶつけた。
　

「ふふっ。だーめ。先に、入って待ってるから……覗いちゃ駄目だぞー」
　

　先に更衣室に入った美彩が壁とドアとの隙間から顔を出して言うと、ウインクを飛ばしてからドアを閉める。
　先程ドアにぶつかった衝撃だけでなくこれから起こる逃れられない展開に、彼の掌は自然と額へとあてがわれていた。


［＃ページの左右中央］

［＃２字下げ］齋藤飛鳥［＃「齋藤飛鳥」は中見出し］

［＃改ページ］

［＃４字下げ］『我儘』［＃「『我儘』」は小見出し］

　とある日の仕事終わり男が帰宅のために足を進めていると、少女が彼の前へと飛び出して進行を遮る。突然の出来事に彼は僅かに驚いたが、大きな反応も見せる事無くすぐに落ち着きを取り戻すと目の前に現れた彼女へと目を向ける。
　

「飛鳥、お疲れ様」
　

　彼は飛鳥へと声を掛けるが、彼があまり反応を見せなかったのが不満だったのか彼女は無言ながらもどこか不満そうな視線を相手へと送る。それを受けてもなお何の反応を示さなかった男に対して完全に機嫌を損ねたのか、飛鳥は顔を横へと背けた。
　

「また不機嫌か？」
　

　彼女が自分の前に現れる際には基本的に不機嫌であることを思い返しながら彼は飛鳥へと尋ねる。その問いから真意を察したのか、飛鳥は顔を彼の方へと向けながら胸の前で腕を組んだ。
　また一層機嫌を損ねてしまった。先程の発言を後悔しながら、彼はいつも通り飛鳥の言葉を待つ。
　

「何、その言い方。いっつも不機嫌みたいな」
　

　彼女の見せる一つの顔。彼の行動に対して気に入らない事があると、それを包み隠す事無く相手へと告げる気が強い彼女。飛鳥の告げる棘のある言葉を受けてから彼は弁解をしようとするが、それに聞く耳を持たんというばかりに彼女は彼に対して背中を向ける。
　話を聞こうとしない相手の姿に彼は困ったように額へと手を重ねていたが、何かを思い付いたように急に飛鳥は彼へと振り返った。&nbsp;
　

「機嫌直して欲しいならどっかロマンチックな場所、連れてけ」
　

　彼女からの提案を受けて、彼は腕につけている時計へと目をやり時刻を確認する。一日の仕事が全て終了した時間帯ということもあり、未成年である彼女を連れ回す事が褒められたものではないのは明瞭であった。しかしながら彼女の表情から期日の延期や引き延ばしを一切受け入れない様子を察すると、どうしようもないこの状況に彼は小さく息を吐いた。
　

「しかし飛鳥、明日は早くから仕事だろう」
　

「良いから、連れてけ！」
　

　どうにか彼女を納得させようと説得を試みるが、その言葉は飛鳥を悩ませるどころか機嫌の悪さに拍車をかけただけであった。
　こうなってしまっては、飛鳥は折れることはない。自らの言葉を一蹴されて確信した彼は頭の中でどうにかスケジュールを組み立てる。
　

「分かった。こっちだ」
　

　何とか予定を立てる事が出来た彼が承諾をしてから車に向かうと、飛鳥は未だに笑顔を見せずに黙ったまま彼の後を着いていく。
　駐車場に停められた男の車に到着し後部座席のドアが開かれると、彼女はそのままスムーズに乗り込まず一旦足を止めた。
　

「やっぱり後ろなんだ」
　

　不満を再び口にしてからようやく彼女は車へと乗り込む。安全を確認してからドアを閉めると、男は運転席へと乗り込み彼女が先程口走った内容を確かめるべくミラー越しに飛鳥の姿を目で捉えた。
　

「何か言ったか？」
　

「別に、何にも」
　

　問い掛けられても、彼女は目を合わせずに窓の外の景色に目をやりながら答える。その後は暫く彼女が口を開く事が無かった為に、彼は無言のまま目的地へと車を走らせた。
　

「助手席はお姫様のみなみの席って訳ね」
　

　突然彼女がこの場にいないメンバーの名前を挙げる。疑問を感じた彼が再びルームミラー越しに彼女の様子を伺うと、今まで視線を交えようとしなかった彼女がこちらを見ていることに気付く。
　

「そんな事一言も言っていないだろう」
　

「知ってるよ、甘やかしてるって」
　

　身に覚えが無い為に彼は否定の言葉を口にするが、先程と同じように彼女は弁解に対して耳を傾けずに彼の主張を一蹴する。しかしながら今までとは違いその後の彼からの言葉を待つように、飛鳥は相手から目を離さずにいた。
　

「何か不満なのか？」
　

「別に」
　

　理由を彼女へと尋ねると、暫く沈黙を挟んでから飛鳥は否定する。彼女が再び視線を窓の外へと向けた為、先程の言葉は飛鳥が求めていないものである事が彼には容易に分かった。
　年も近くシンメトリーとして見られる事もあるみなみに何か思う事が彼女なりにあるのだろう。静かな時間が流れる車内で彼はそう考えながら車を走らせた。
　

　　　　　　　　　　　☆
　

「ここで良いか？」
　

　自らが以前よく訪れていた夜景の見える場所へと到着すると、車を停めて後ろの相手の方へと体を向ける。窓越しにも見える夜景に目を向けている彼女には彼の言葉は届いておらず、広がっている街の灯りをぼんやりと眺めていた。
　

「飛鳥？」
　

　2度目の呼び掛けで自身を呼ぶ声に気付いた飛鳥は視線を彼へと送る。しかしその後に彼女が俯くと、何か言いたい事があると察した彼は静かに飛鳥の言葉を待った。
　

「ねぇ……前、行っていい？」
　

　この場所へと訪れる前までとは大きく異なり、彼女はどこか寂しげな様子で前に座ってにいる彼へと尋ねる。下げられていた視線は今は真っ直ぐに彼を見据えていた。
　

「ああ」
　

　正面を向いた彼は承諾するとかけていたロックを外す。彼女が車外に出たのを耳で確かめてから前の席へと来るのを待つ。
　その後暫くすると助手席のものではなく、運転席方面のドアが開かれる。
　

「こちらは……」
　

「うるさい、黙ってて」
　

　彼の制止にも耳を貸すことなく飛鳥は素早く運転席へと乗り込むと、彼の膝上へと座るようにしながらドアを閉める。彼女の反論は普段と同じく棘のあるものであったが、いつものものとは異なりどこか柔らかみを彼は感じた。
　

「さっきのみなみの話は別に不満とかじゃなくて……ちょっとだけ、羨ましいだけ」
　

　膝上に座る彼女は穏やかに言葉を続けていく。彼はその話を静かに聞きながら彼女の髪をそっと撫でた。髪に触れる彼の指を飛鳥は拒否することなくそれを受け入れる。
　

「もっと素直になれば良いのだが。飛鳥の魅力が隠れて勿体無い。」
　

　髪を撫でる彼の指に対しては何の反応もしていなかった飛鳥であったが、彼の一言を受けると相手の手から逃れるようにして自らの髪と離れさせた。
　彼の手は宙に留まっていたが、やがて彼は行き場を無くしたそれを下げる。
　

「いいよ、嫌われても。別に性格悪いの知ってるし」
　

　彼の言葉に対して彼女は淡々と強気な発言をするが、髪を撫でる指が無くなり物寂しくなったのか自らの指で髪を撫で始めた。飛鳥の性格を知っている為に、彼はフォローの言葉を探して頭を悩ませる。
　

「けど……先生には、嫌われたくない……かな」
　

　彼が迷っている中、彼女がぽつりと呟く。それを耳にした彼は言葉を探すことを止め、後ろから飛鳥をそっと抱き締めた。
　

「あっ！今胸さわった！」
　

　急に回された腕に飛鳥は一瞬びくりとするが、その後は嬉しそうな声を挙げて回されている腕を自らの方へと引き寄せる。
　

「触ってもいないし当たってもいない。そんな当たる程も無いだろう」
　

　機嫌が良くなった事で彼も安心したのか彼女への言葉に頭を悩ませる事無くそのまま思ったことを告げる。その内容に飛鳥は回されている相手の腕を軽く叩いた。
　

「変態！ばーか！ロリコン！でも……好き」
　

　彼を罵るように言い放った後、強く抱き締める事をねだるように彼女は相手の回す腕により一層の力を加えて引き寄せる。
　彼女の見せるもう一つの顔。どこか儚げで、甘えたがりな彼女。彼はいつの日からかそんな対照的な面を持つ飛鳥の虜になっていた。


［＃ページの左右中央］

［＃２字下げ］堀未央奈［＃「堀未央奈」は中見出し］

［＃改ページ］

［＃４字下げ］『焼肉』［＃「『焼肉』」は小見出し］

「んー、本当に美味しい！」
　

　男に連れられて焼肉屋を訪れると、肉と一緒に白米を頬張ってから絶賛をする未央奈。彼女の食べるペースの早さに僅かばかり驚きながらも彼は次々と肉を焼いていく。相手が肉を焼くのを買って出てくれた為に、食べる事に専念できる未央奈は満面の笑みを浮かべながら食べ進めていった。
　

「未央奈は本当に美味しそうに食べるな」
　

　暫くその様子を見ながら黙々と肉を焼いていた翼であったが、やがて彼女へと声をかける。未央奈はその言葉にきょとんとした様子を見せて箸を止めるが、やがてくすくすと可笑しそうに笑いだした。
　彼女の反応に彼は思わず首を傾げる。
　

「だって、本当に美味しいですよ？」
　&nbsp;
　彼女の言葉に彼が納得したように頷くと、再び未央奈は食事を再開する。しかしながら何か思うことがあったのか、暫くすると再び箸の動きを止めて彼の方向へと視線を向ける。
　未央奈が突然変わった話題を切り出す節があることは彼は知っていた。その為からか、彼は気構えをして相手の言葉を待った。
　

「やっぱり、人間がお肉を食べたくなるのは本能なんですかね」
　

　彼女はすぐには話を切り出さず、少し間を空けてから呟くように告げる。その際に未央奈の視線は目の前で焼かれている肉へと注がれていた。
　

「未央奈、何の話だ？」
　

　彼女の口にした言葉を受けて彼は直感的に嫌なものを感じ取る。仕事を行う中で彼女の趣味を理解している為に、次の発言が大方予測できた彼は小さく溜め息を吐いた。
　

「だって、ゾン……」
　

「未央奈。きっとその話は今するのに相応しくない話題だろう」
　

　未央奈が予想通りの言葉を告げる前に彼はその言葉を遮る。嬉々として語ろうとしていた彼女は自らの発言が中断されたことを不満そうに頬を膨らませた。
　そんな食べることを中断した未央奈とは対称的に、拗ねている相手を気に留める事もなく男は箸を進める。それを見た未央奈も仕方無さそうに箸を動かし始める。
　

「先生なら、理解してくれると思ったのに」
　

　相変わらず落ち込んだまま告げてはいるものの、食事のペースが一切変わっていない彼女を見て彼は思わず笑いそうになる。それに耐える男は未央奈の食事のスピードを考慮してか再び肉を焼き始めた。
　

「今でないならいつでも話は聞いてやる」
　

「本当ですか？」
　

　彼の発言を受けると間髪を入れず未央奈は嬉々として尋ねる。頷く彼を見て満足したのか、再び当初のように機嫌良さそうに食事を進めていく。しかしその後すぐにもう1度彼女の箸が止まる。
　これほどまでに次の発言が読めないメンバーがいただろうか。そんな事を考えながら男は顔を上げた未央奈と視線を交えた。
　

「先生は、私がゾンビになったらどうします？」
　

　先程は止められた話題を、彼女は躊躇無く切り出す。普段ならかわす事が造作もない質問であったが、彼女の表情がふざけている様子もなく真剣なものであることが彼をより一層悩ませた。
　何とか彼が返事の言葉を探している間、未央奈は相手の顔を真っ直ぐに見つめ続ける。
　

「今、答える必要があるのか？」
　

「 気になっちゃって、やっぱり」&nbsp;
　

　話題が話題ということもあり彼の箸の動きも止まると、彼は何とか解答を先延ばしにしようと彼女へと問いかける。しかしながら未央奈はそれに対して迷う様子を一切見せること無くこの場での回答を相手へと迫る。
　入った場所が個室で良かったと安心する傍ら、上手い言い回しが思い付かない為に彼女の質問へと未だ頭を悩ませる。その間、未央奈の視線は揺らぐこと無く彼の姿を捉え続けた。
　

「ゾンビになろうが未央奈は未央奈だろう」
　

　暫くの沈黙が続き、重々しいながらもようやく男は口を開く。この言葉で良かったのだろうかと、彼は数日前の事を思い出しながら考える。
　未央奈と焼肉屋を訪れる数日前、彼は突然未央奈からの告白を受ける。あっさりと告げられて言葉を失っていた彼からの返事を聞く前に、未央奈は答えはすぐでなくて良いことを告げてその場を立ち去っていた。
　恐らく先程の質問はそれに対する答えを求めていたんだろうと、彼は自らの言葉を受けて目をぱちくりさせている未央奈の反応を待つ。
　

「えっ、食べられてくれるんですか？」
　

　ようやく反応をした未央奈は目をきらきらとさせながら、生き生きとした様子で彼へと問い掛ける。
　しかし嬉しそうに告げてはいるものの、彼女が返した言葉の内容が内容であった為に彼は先程の自らの見解に対して疑問を抱いた。
　

「その言い回しは何とかならないか？」
　

　真意を確かめるべく彼は未央奈へと尋ねるが、機嫌良さそうに笑う未央奈はにこにことしながら男の隣の席へと移動をする。相変わらずまじまじと見詰め続けて視線を外そうとしない彼女に根負けし、彼は一瞬未央奈から視線を外す。
　その次の瞬間だった。
　

「じゃあさっそく……」
　

「待て、未央奈。もう1度言うが場所と時を考えろ」
　

　彼の腕を掴んだ未央奈は今にも噛みつく勢いでその腕に向かって顔を近付ける。それに気付いた男は何とか彼女の額をもう片方の手の平で相手の額をおさえ、腕に噛みつかれるのを回避した。
　

「時と場所を考えたら良いんですか？」
　

　残念そうにしていた彼女は男からの言葉で再び表情を明るくする。彼は観念したように小さく数回頷いた。
　

「じゃあ先生の変わりにこのお肉を食べまーす」
　

　隣の席から動かずに自分が先程座っていた場所から皿などを移動させると、未央奈は再び肉を頬張り始める。その姿をぼんやりと眺めながら、彼は告白をしてきたはずの未央奈の接し方が以前とほとんど変わらない事に頭を悩ませる。
　そんな悩みなど露知らず、視線に気付いた未央奈は彼に向かって微笑んだ。


