文字サイズ:
短歌行
◇ 書き下し文

酒に対しては当に歌うべし、人生幾何ぞ譬(たとえ)ば朝露の如し、去りし日は苦(はなは)だ多く慨して当に以て慷すべし、幽思は忘れ難く何を以て憂いを解かん、唯だ杜康 有るのみ青青たる子が衿、悠悠たる我が心但だ君が為の故、沈吟し今に至る呦呦と鹿鳴き、野の苹を食す我に嘉賓有らば、瑟を鼓し笙を吹く明明として月の如きも、何れの時にか採るべし憂いは中より来たりて、断絶すべからず陌を越え阡を度り、枉げて用って相存す契闊談讌し、心に旧恩を念う月明らかに星稀に、烏鵲南に飛ぶ樹を繞ること三匝、何れの枝にか依るべき山は高きを厭わず、海は深きを厭わず周公 哺を吐きて、天下心を帰す

◇ 現代和訳/通釈文

「酒を前にしたら大いに歌うべきじゃないか! 人生など幾ばくのものでしょうたとえば朝露のように儚いものです、過ぎてしまった日々ははなはだ多くまったく悲憤にくれるばかりで、物思いから離れられませんこの憂いを何で解き放ちましょう? ただそれは酒ですよ!皆さんは青々と襟を立て、私は悠々といい気分だただあなたがたの為だけに、私はこうして歌ってきたのです鹿が呦呦と鳴きながら、野の蓬を食べています私によいお客があれば、琴を奏で、笛を吹いてもてなすでしょうその想いは月光のように明らかなのに、どうやっても手に取れませんそんな憂いは私の中から湧いてきて、断ち切ることができませんしかし、遠い道を千も越えて、無理をして来てくれた皆さんがここにいる久しぶりに会う者同士で酒を飲み宴会をし、旧交を温め会おうじゃないか!月は星が稀になるほど明るく、かささぎは南に飛んで行き、木のまわりを三度も巡って、どの枝にとまるべきか考えている山がいくら高くても構わない、海がいくら深くても構わない周公(周の武王の弟君で辣腕政治家)は、口のなかの食べ物を出してまでお客に会ったから、天下の名士を集められたのですよ!」

-------------

詩作にも長けていた曹操は建安文学の創始者としても名を残しています。        
当時の文学者や子の「曹植」が中心となって起こされたこの文化は、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出したとされています。

4cdf8c058df7d37a379bf656.jpg