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 帰宅ラッシュで込み合ういつもと同じ電車のいつもと同じ車両から吐き出された俺は人波に呑まれていた。

 駅からそれぞれの方向へ向かう人たちはまるで、巣穴から這い出る蟻の様に列をなしバス停やタクシー乗り場に歩いて行く。例に漏れず歯車の一部みたいに帰路へ就いた俺はふと空を見上げた。ビルとビルの間から美しく輝く満月を見つけた。

「今日は満月か・・・・・・」

 立ち止まり、一人そう呟くと遠い遠いいつかの情景が頭の中に浮かび上がった。


―――――――――――――

「ねぇ、本当に東京の大学に行くの?」

 卒業式の帰り道、ふいに後ろから声をかけられた。

「あぁ、そんな事ウソついてどうすんだよ」

 振り返った俺は目の前にいる少女に答えた。

「そっかー。そりゃ寂しくなるね」

 ガキの頃からずっと一緒に歩いていたこの道もこの日が最後だ。

「そうだな・・・」

「あ!見て見て!」

 さっきまで俯いていた彼女は俺が感傷に浸る間も与えず袖口を引っ張り空を指差した。

「ほら満月!」

 彼女の指の先には一切の翳りも無い満月が煌々と煌めいていた。

「・・・月が」

「ん?」

「月が綺麗だな」

「うん!ホント雲一つない満月だね」

 俺の言葉をそのまま捉えた彼女は笑っていた。

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「ふっ」

 たかが満月を見ただけで10年も前の出来事を思い出した自分自身についつい失笑が漏れてしまった。だが、再び足を動かし始めた。


「・・・もう10年か」

 10年。言葉にすればすぐだが、実際にはとてつもなく長く感じる年月。


 地元を去り、名門大学を卒業し、誰もが知っている一流企業に就職し、出世街道をひた走り、人生の伴侶も得た俺の人生は誰の目から見ても順風満帆だと言えた。ほんの数週間前までは・・・・・・


 あの日、たった一つ。たった一つの選択を誤ったばかりに俺は出世街道からも外され、余りにも役不足な部署に異動させられ、更には最愛の妻にも逃げられてしまった。


 腐りきり、どん底を味わった俺には"生きる屍"という表現がお似合いだった。



 無意識にポケットの携帯を取り出すと、アドレス帳からある人物のページを画面に表示させた。


 この10年、携帯を何度換えても消えることのなかった数少ない番号の一つ。



 何を思ったのか、俺は発信を押してしまった。

(10年も前の番号だぞ。繋がる訳ないじゃないか)

 自分の愚行に気付き電話を切ろうとしたその瞬間、電話が繋がった。


「ウソだろ!?」

 呼出音を聞きながら、驚きのあまり声が出た。


『もーしもーし』

「も、もしもし」

『やっとかけて来たよ』

「なんで?」

『なんでって・・・・・・。あの日のこと忘れたの?自分で言ったんじゃんか』

「え・・・」


 もう一度あの日を思い返してみた。




―――――――――――――

「月が綺麗だな」

「うん!ホント雲一つない満月だね」

「・・・ふ」

「え、何で笑ってんの?可笑しなこと言った?」

「いいや。お前には10年早かったな」

「なにそれー?またバカにしてるー」

「なんでもねぇよ」


―――――――――――――



「・・・あぁ」

『思い出した?』

 そういえば言った気がする。いや、はっきり言った。

「お前・・・覚えてたのか?」

『ふふん。見直した?』

「いや、そこまでは」

 顔は見えないが電話の向こうでドヤ顔をしているのが手にとる様にわかった。

『ちょっと!・・・・・・まぁいいや』

『えっとさ・・・』

「・・・・・・」

『月が綺麗だね』

「あぁ・・・綺麗だ」

 もう一度見上げた満月は滲んでいてはっきりと見えなかった。