強い風が吹いていた。窓から見える雲は追い立てられるようにどこかへ流れてゆく。草花の芽生える甘い匂いをほんのりと含んだ暖かい春の風だ。
七瀬は真新しい制服に身を包むと、鏡の前に立った。白い壁に掛けられた淡い草色の鏡。バストUPで映るそれは、下の方はあまり姿が映らない。
自分では中学時代となんら変わりないように見えるが、白いブラウスと濃紺のブレザーが身を引き締める。身長もこの半年で伸びた。けど、やっと150を越えた程度だ。
七瀬は両手で頬を摩った。本当はパチンと叩こうかと思ったけれど、それほどの気合を入れる事もないなぁ。なんて思ってしまったからだ。
入学前に校長が言った『試験』には見事に合格した。それどころか、中3までの国、数、理はどれも90点以上で英語に関しては100点満点の成績だった。
基礎学力を計る試験とはいえ、ここまで点数をとれる生徒がどれだけいるだろうか。
「胸を張っていればいい」
父親は優しい声で言った。七瀬はその口調で父の優しさを読み取ることが出来た。
「ナナ。早く朝ごはん食べなさい」
母親は二階に通じるインターホンを鳴らして、そう言った。
七瀬は聴覚に障害を持っている。しかし、全く聞こえないわけではなく、微かに音を感じる事はできる。
例えば、近くで電話がなれば何かの音として認識する。ただ、それが電話の音なのか、トラックのエンジン音なのかを聞き分ける事はできない。全てが粗雑なノイズとなって彼女の中耳に届くだけだ。
部屋に通じるインターホンはランプが点灯する。それで、階下で人が呼んでいることを彼女は認識できる。だから七瀬は音が聞こえたらまず、視線を周囲に巡らせる。
視覚で見て、聞こえるノイズが何の音か判断するのだ。彼女は新しい学生カバンを掴むと小走りに部屋を出た。
廊下を出た所で姉の奈々未にぶつかりそうになった。
「危ないなぁ。浮かれて事故るとかは勘弁だよ」
奈々未はそう言って笑うと、少しだけ腰を屈めた。
「ほ~ら、リボン曲がってるよ」
七瀬の襟元にぶら下がる小さ目のリボンを指で整えた。
『サンキュー』
奈々未に手話で手早く告げ、七瀬は階段を駆け下りた。