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「たとえばさ。おっきな雲が空に浮かんでるとするでしょ?それが人みたいだったり、飴みたいだったり、車みたいだったり、地球防衛軍みたいだったりするでしょ?そういうのを見るとちょっとだけでも、嬉しくならない?」


 と、先客は振り返った。

 学校の屋上というものは、漫画やドラマなんかと違って、普通は出入りが難しい所である。それが授業中ともなれば尚更で、人気など皆無であるハズなのだ。普通は。


 屋上に出るには、容易に生徒が行けないようになっている梯子を昇らなければならない。この梯子は、平均身長の男子が手を伸ばしても届かないような所にあって、脚立かなにかが無い限り、昇ることは出来ない。


 よしんば、昇れたとしても、屋上に通じる扉には堅く鍵がかけられているから、一般の生徒は在学中に一度も屋上に出ることなく卒業していくのだ。普通は。


 だが、透馬は男子の平均身長よりもだいぶ背が高く、運動神経もよい。特に垂直跳びでは学年一だった。彼はいわゆる不良というヤツなのであるが、一応HRといくつかの授業には顔を出すことにしている。卒業くらいは、ちゃんとしたいと思っているからだ。


 彼は律儀な不良だった。だが、そうとはいっても、授業に出るのはかったるいし、たまにはサボりたくなるものだ。偶然にも屋上へ通じる扉が壊れていることに気付いた彼は、たまに屋上へエスケープすることにしていた。


 誰も場所でのんびりと昼寝する。なんたる幸せで平穏なひと時であろうか。だが、その平穏も数日前から破られることになる。


 ひとりの少女の存在によって。



 今日も透馬が扉を開けると、しっかりコートを着込んだ少女が手すりにもたれて空を見ていた。上履きのラインは赤。3年生だ。つまりは、透馬よりも一学年先輩にあたる。それにしては小柄で、背の高い透馬の胸の辺りまでしかない。透馬はうんざりした声に、かすかな諦めを込めて言った。


「また居るのかよ、センパイ。受験生じゃねぇのか?」


「いいんだよー。あたし、推薦決まったもん」


 センパイと呼ばれた少女は空を見たまま答える。透馬はその答えを鼻で笑い、貯水タンクの上で寝転んだ。あの小柄な少女がどうやって屋上に来れたのか、疑問を持たないでもないが、実際にここにいるわけだし、幽霊なんてオチは期待していない。


 それよりも、睡眠時間の確保の方が彼にとっては大事だった。しかし、少女が屋上に現れるようになってから、まともな睡眠時間を確保出来た例がなかった。


 今日も少女の存在を忘れ、うとうととし始めている時に聞こえてきたのが、先ほどの「たとえば」から始まるいつもの言葉だった。明らかに透馬に話しかけてきている。透馬は不機嫌さを隠さずに、けれども律儀に答えた。


「なるか、馬鹿。特に最後のはなんだ。意味が分からん上にあり得ねぇだろ」


「ひっどいなー。先輩に向かって馬鹿はないでしょ。馬鹿は」


「18になって、地球防衛軍とかほざいてるヤツは馬鹿で十分だ」


「残念でしたー。あたしは1月生まれだから、まだ17でーす」


「あぁ、だからちっこいのか」


「なっ、ちっこいのは関係ないもん!クラスのちはるちゃんは2月生まれだけど背高いよ!」


「そうか。じゃ、精神年齢に比例してるんだな」


「うー、馬鹿!まぬけ!デカかぼちゃ!脳味噌が豆腐通り越しておからのクセに!」


「小学生か、お前は。意味分かんねぇし」


 わざわざ透馬が寝そべる貯水タンクの上にまでやってきて罵詈雑言を浴びせかける少女に、透馬は呆れながらもツッコミを入れた。


「ふん、もういいもん!」


 少女は透馬にかまうのに飽きたのか、貯水タンクの縁に座って足をぶらぶらさせながら、また空を見上げ出した。

 そんな少女の背中を眺めながら、透馬は自問自答した。


 何故、自分は睡眠時間を阻害されると分かりながら、屋上にやってくるのか。もちろん、いつもいつも少女がいるワケではないのだが、いる確率の方が高いの。他にも昼寝をするのに適した静かな場所が、ないわけでもない。何故、そっちへ行かないのか。と。


(・・・たとえば、コイツが卒業しちまって、もう二度と屋上に現れないと知りながら、うっかり見上げた空に面白い形の雲が浮かんでたとしたら、きっとコイツのことを思い出すんだろうな)


 出会ったのはつい数日前。3年だということは知ってるが、名前もクラスも知らない。推薦で受かったという学校名はおろか、大学なのか短大なのか専門なのかも知らない。


 向こうも自分のことを知らないだろう。もし廊下ですれ違っても、知らんぷりするような仲だ。ただ、屋上での短い時間を共有するだけの仲。


 それだけなのに、気になる。


 言っていることは幼いし、動きも小動物みたいに落ち着きがない。外見は中学生と言っても通用するだろう。


 結論は出ている。


 見ていて飽きないのだ。見ていて、話していて面白い。だから、また屋上に来るのだ。


 彼女が卒業するまで・・・。

 その後のことは、その時考えればいいと結論付けて、透馬は目を閉じた。


 透馬が再び目を開けた時、少女はもういなかった。代わりに一冊のノートが風に煽られページが捲られていた。


(アイツのか)


 のそりと起き上った透馬はノートを手に取った。表紙にはローマ字で名前が書かれていた。


(3-Cのイクタさんね・・・)


 また明日も来るだろう。そう思い透馬はノートを手に屋上を後にした。