「お邪魔しまーす」
とある日、体調を崩していた男の部屋の鍵が勝手に解錠されると聞き覚えのある声が室内へと響く。聞き間違いであると願う彼であったが、その期待も虚しく寝室からリビングへと足を運ぶと買物袋の中身を整理していた真夏の姿が目に映った。
「あっ、ごめんなさい!勝手にお邪魔しちゃって」
買物袋の中身の整理を終えた真夏は相手に向かってにこりと微笑む。しかしながら男はそれに反応を示すことなく自らにマスクを着けると、もう1枚手にしていたマスクを彼女へと差し出した。マスクを受け取った真夏は彼の促し通りにそれを装着すると、もう一度にこりと微笑みかける。
「何故来た。真夏の身体が弱い事くらい私も知っている」
彼にとって真夏が来てくれたことはとても喜ばしいことであった。しかし彼女自身が風邪を引くことが多いことを知っていた彼は自分が原因で相手に移る事を心配してあえて辛辣な言葉をかける。そんな言葉を受けながらも真夏は笑顔を絶やす事無く、さらに1歩相手へと歩み寄った。
「でも、先生真夏に来て欲しかったんでしょ?それに……」
風邪の影響もあってか彼のいつも以上に抑揚の無い言葉とは対称的に、真夏は嬉々としながら彼へと返事をする。その後何かを言おうか言うまいか悩んでいる為か、1度彼から視線を外して横へとそらした。
しかしながらすぐに決心が着いたのかすぐに視線で彼を捉えると、真夏は笑顔を浮かべた。
「先生の風邪が移っちゃうなら、どきどきしちゃうかも」
話始めた途端に色っぽい目付きへと切り替えた真夏であったが、先程と同様に彼は動じる様子を見せない。それどころか何事も無かったかのように彼女の横を通り抜けるとキッチンに置かれていた食材へと目を向けた。
「馬鹿を言ってるんじゃない。」
その食材からうどんを作ろうと予定していた事を知った彼は自ら調理をしようと器材を取り出そうとするが、パジャマの袖をぐいぐいと引っ張る真夏によって阻止される。再度何かを言うのではないかと疑った為に目だけで真夏の方を確認するが、その表情に僅かながら落ち込んでいる色が見られた為か彼は器材を取り出す作業を断念した。
「ちょっとくらい、反応してくれても良いのに。あ、お風呂場の着替える場所借りますね?」
「何をするんだ?」
彼女は少し寂しげに告げていたが、何かを思い出したように手を鳴らすと持参していた大きめの鞄を手に取った。その鞄が気になる事に加え何か嫌な予感を感じ取った彼は真夏へと問い掛けると、彼女は悪戯っぽく笑う。
「ふふふ、内緒。あ、覗いちゃ駄目ですよー?お熱上がっちゃいますからね」
明確な答えを出さずに真夏は笑いながら言うとそのまま浴室の脱衣所へと入っていく。残された彼は料理の用意をしようとするが先程の彼女の表情が思い出された為、リビングへと引き返すと真夏が戻ってくるのを待った。
暫く時間が経過し、にこにこと笑いながら真夏が彼の前へと帰ってくる。その際に彼女の服装が先程までのものとは異なりナース服へと変わっているのを見て、彼は絶句する。
「ふふっ、まナース姿にずっきゅんされちゃいました?」
まじまじと自らの姿を眺める彼の様子に、真夏は両頬を手で覆うようにしながら尋ねる。しかしながら衝撃の余り声を失ってしまった彼はそれに対しての返答が出来なかった。
彼の無言の時間が流れやっと落ち着きを取り戻した際には、呆れのあまりか深々と溜め息を吐く。
「先生?ひょっとして……肩見せの方が好みでした?でもほら、チャームポイントの太股は……」
「作るならば、早く作って貰いたいのだが。出来れば早く休みたい」
自らの太股の辺りを指差すようにしながら真夏はアピールをするが、彼はそちらを見る事もなくリビングの椅子に座った。頬を膨らませて拗ねたことをアピールするものの、それにさえ目を向けて貰えずがっかりとした真夏は一旦しょんぼりとしてから調理を行う用意を始めた。
順調に調理が進み手際よく完成させると、出来上がったうどんを彼の前へと運ぶ。箸や冷たいお茶等の食事の配膳を完璧に済ませた彼女は迷うことなく彼の横へと座ると、彼が箸を手に取る前に自身がそれを握った。
「じゃあまなったんが……」
「いい、自分で食べれる。」
笑顔で真夏は箸を動かし始めるが、麺を掴む前に握っていた箸を彼が取り上げると自らの手で握り直す。その後彼は食べ始めようとするが、口へと運ぶ前に真夏の表情を見ると目元が潤んでいることに気付く。
「そんな顔をするな。」
一旦箸を置いた彼は隣の相手に身体の正面を向けるように居住まいを改める。それによって自身が泣きそうになっている事を知られていると察した真夏は反射的に彼から顔を背けた。
「だって……せっかく元気づけてあげようとしてるのに……」
「元気づける?釣ろうとしてるようにしか見えないが」
彼女は涙声になるまいと平静を装って告げるが、その声は自然と震える。相変わらず目を合わせないようにしていたであったが、彼がさらりと口にした言葉を受けて何か思うことがあったのか真夏は顔を正面へと向ける。
「それは……だって、先生に夢中になって欲しいじゃないですか」
いつもの愛嬌を前面に出したものではなく今にも泣きそうにながらに告げられたそれに、彼は困ったように自らの額へと手を置く。やがて小ささ息を吐いた彼は左右へと小さく首を振った。
「真夏。合鍵さえ渡しているんだ。これ以上何をどう夢中になれと言うんだ?」
簡単にその旨だけを伝えると、照れ隠しの為か身体をテーブルの方へと戻すとうどんを食べ始める。それを聞いた真夏は暫く硬直していたがやがて再び両頬を抑えながら身を乗り出した。
「ふふっ、風邪が治ったら……真夏のこと、好きにして良いよ?」
「近寄るな、風邪が移る。それに今の台詞は言っただけだろう」
完全に機嫌が良くなった真夏は更に距離を詰め、頬を赤らめながら猫撫で声で言うが、相変わらず落ち着いた様子で反論する相手に押し戻される。
「今のはさすがにどきどきして貰えるかなぁって恥ずかしいの我慢して言ったのに!」
反応を返さない相手に思いきり頬を膨らませながら真夏は抗議をするが、やがて彼に向けて穏やかに微笑む。
素っ気なく黙々とうどんを口にしていた彼であったが、真夏が訪れてから彼の顔色は格段と良くなっていた。