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齋藤飛鳥 『我儘』

 とある日の仕事終わり男が帰宅のために足を進めていると、少女が彼の前へと飛び出して進行を遮る。突然の出来事に彼は僅かに驚いたが、大きな反応も見せる事無くすぐに落ち着きを取り戻すと目の前に現れた彼女へと目を向ける。


「飛鳥、お疲れ様」


 彼は飛鳥へと声を掛けるが、彼があまり反応を見せなかったのが不満だったのか彼女は無言ながらもどこか不満そうな視線を相手へと送る。それを受けてもなお何の反応を示さなかった男に対して完全に機嫌を損ねたのか、飛鳥は顔を横へと背けた。


「また不機嫌か?」


 彼女が自分の前に現れる際には基本的に不機嫌であることを思い返しながら彼は飛鳥へと尋ねる。その問いから真意を察したのか、飛鳥は顔を彼の方へと向けながら胸の前で腕を組んだ。

 また一層機嫌を損ねてしまった。先程の発言を後悔しながら、彼はいつも通り飛鳥の言葉を待つ。


「何、その言い方。いっつも不機嫌みたいな」


 彼女の見せる一つの顔。彼の行動に対して気に入らない事があると、それを包み隠す事無く相手へと告げる気が強い彼女。飛鳥の告げる棘のある言葉を受けてから彼は弁解をしようとするが、それに聞く耳を持たんというばかりに彼女は彼に対して背中を向ける。

 話を聞こうとしない相手の姿に彼は困ったように額へと手を重ねていたが、何かを思い付いたように急に飛鳥は彼へと振り返った。 


「機嫌直して欲しいならどっかロマンチックな場所、連れてけ」


 彼女からの提案を受けて、彼は腕につけている時計へと目をやり時刻を確認する。一日の仕事が全て終了した時間帯ということもあり、未成年である彼女を連れ回す事が褒められたものではないのは明瞭であった。しかしながら彼女の表情から期日の延期や引き延ばしを一切受け入れない様子を察すると、どうしようもないこの状況に彼は小さく息を吐いた。


「しかし飛鳥、明日は早くから仕事だろう」


「良いから、連れてけ!」


 どうにか彼女を納得させようと説得を試みるが、その言葉は飛鳥を悩ませるどころか機嫌の悪さに拍車をかけただけであった。

 こうなってしまっては、飛鳥は折れることはない。自らの言葉を一蹴されて確信した彼は頭の中でどうにかスケジュールを組み立てる。


「分かった。こっちだ」


 何とか予定を立てる事が出来た彼が承諾をしてから車に向かうと、飛鳥は未だに笑顔を見せずに黙ったまま彼の後を着いていく。

 駐車場に停められた男の車に到着し後部座席のドアが開かれると、彼女はそのままスムーズに乗り込まず一旦足を止めた。


「やっぱり後ろなんだ」


 不満を再び口にしてからようやく彼女は車へと乗り込む。安全を確認してからドアを閉めると、男は運転席へと乗り込み彼女が先程口走った内容を確かめるべくミラー越しに飛鳥の姿を目で捉えた。


「何か言ったか?」


「別に、何にも」


 問い掛けられても、彼女は目を合わせずに窓の外の景色に目をやりながら答える。その後は暫く彼女が口を開く事が無かった為に、彼は無言のまま目的地へと車を走らせた。


「助手席はお姫様のみなみの席って訳ね」


 突然彼女がこの場にいないメンバーの名前を挙げる。疑問を感じた彼が再びルームミラー越しに彼女の様子を伺うと、今まで視線を交えようとしなかった彼女がこちらを見ていることに気付く。


「そんな事一言も言っていないだろう」


「知ってるよ、甘やかしてるって」


身に覚えが無い為に彼は否定の言葉を口にするが、先程と同じように彼女は弁解に対して耳を傾けずに彼の主張を一蹴する。しかしながら今までとは違いその後の彼からの言葉を待つように、飛鳥は相手から目を離さずにいた。


「何か不満なのか?」


「別に」


 理由を彼女へと尋ねると、暫く沈黙を挟んでから飛鳥は否定する。彼女が再び視線を窓の外へと向けた為、先程の言葉は飛鳥が求めていないものである事が彼には容易に分かった。

 年も近くシンメトリーとして見られる事もあるみなみに何か思う事が彼女なりにあるのだろう。静かな時間が流れる車内で彼はそう考えながら車を走らせた。


           ☆


「ここで良いか?」


 自らが以前よく訪れていた夜景の見える場所へと到着すると、車を停めて後ろの相手の方へと体を向ける。窓越しにも見える夜景に目を向けている彼女には彼の言葉は届いておらず、広がっている街の灯りをぼんやりと眺めていた。


「飛鳥?」


 2度目の呼び掛けで自身を呼ぶ声に気付いた飛鳥は視線を彼へと送る。しかしその後に彼女が俯くと、何か言いたい事があると察した彼は静かに飛鳥の言葉を待った。


「ねぇ……前、行っていい?」


 この場所へと訪れる前までとは大きく異なり、彼女はどこか寂しげな様子で前に座ってにいる彼へと尋ねる。下げられていた視線は今は真っ直ぐに彼を見据えていた。


「ああ」


 正面を向いた彼は承諾するとかけていたロックを外す。彼女が車外に出たのを耳で確かめてから前の席へと来るのを待つ。

 その後暫くすると助手席のものではなく、運転席方面のドアが開かれる。


「こちらは……」


「うるさい、黙ってて」


 彼の制止にも耳を貸すことなく飛鳥は素早く運転席へと乗り込むと、彼の膝上へと座るようにしながらドアを閉める。彼女の反論は普段と同じく棘のあるものであったが、いつものものとは異なりどこか柔らかみを彼は感じた。


「さっきのみなみの話は別に不満とかじゃなくて……ちょっとだけ、羨ましいだけ」


 膝上に座る彼女は穏やかに言葉を続けていく。彼はその話を静かに聞きながら彼女の髪をそっと撫でた。髪に触れる彼の指を飛鳥は拒否することなくそれを受け入れる。


「もっと素直になれば良いのだが。飛鳥の魅力が隠れて勿体無い。」


 髪を撫でる彼の指に対しては何の反応もしていなかった飛鳥であったが、彼の一言を受けると相手の手から逃れるようにして自らの髪と離れさせた。

 彼の手は宙に留まっていたが、やがて彼は行き場を無くしたそれを下げる。


「いいよ、嫌われても。別に性格悪いの知ってるし」


 彼の言葉に対して彼女は淡々と強気な発言をするが、髪を撫でる指が無くなり物寂しくなったのか自らの指で髪を撫で始めた。飛鳥の性格を知っている為に、彼はフォローの言葉を探して頭を悩ませる。


「けど……先生には、嫌われたくない……かな」


 彼が迷っている中、彼女がぽつりと呟く。それを耳にした彼は言葉を探すことを止め、後ろから飛鳥をそっと抱き締めた。


「あっ!今胸さわった!」


 急に回された腕に飛鳥は一瞬びくりとするが、その後は嬉しそうな声を挙げて回されている腕を自らの方へと引き寄せる。


「触ってもいないし当たってもいない。そんな当たる程も無いだろう」


 機嫌が良くなった事で彼も安心したのか彼女への言葉に頭を悩ませる事無くそのまま思ったことを告げる。その内容に飛鳥は回されている相手の腕を軽く叩いた。


「変態!ばーか!ロリコン!でも……好き」


 彼を罵るように言い放った後、強く抱き締める事をねだるように彼女は相手の回す腕により一層の力を加えて引き寄せる。

 彼女の見せるもう一つの顔。どこか儚げで、甘えたがりな彼女。彼はいつの日からかそんな対照的な面を持つ飛鳥の虜になっていた。