『よかったぁ〜…!』
意識が戻った健太が最初に目にしたのは今にも泣きそうな白石麻衣の表情だった。
どうしてそんな表情をするのか。
普通目が覚めたなら意識が戻ったのなら喜ぶのでは。
そもそもなぜ知り合ってから日の浅い自分の為に泣いてくれるのだろう。
健太は内に秘めた想いを出さずに白石を見つめた。
改めて見ると美しい。
まるでギリシャ彫刻のような神々しさ。
真珠のような肌もそこから流れる涙も彼女の何もかもがひとつの芸術品のようだった。
「死んじゃったかと思ったよぉ〜…うぅ…」
あの程度で死ぬならばとっくに死んでいる。
あの狸男にスカウトされたあの時に。
健太はふと我に帰る。
彼女の見下ろすような首の角度。
むにむにとした柔らかい感触が首の後ろ側に伝わる。
そして自分が白石の膝枕で寝転んでいることに気づいたのだ。
恥ずかしさと照れからか顔を真っ赤にする健太。
『す、すいません!今すぐ退きますので!』
立ち上がろうとする健太の体をそっと抑えたのは急に視界に入ってきた橋本だった。
「まだ顔色悪そうだから寝てなさい」
『わ、わかりました…』
普段とは大違いの橋本の優しい言葉を受け、健太は再び白石の太ももに頭を置いた。
自分より年下ではあるがもし姉だったらば理想の姉になっていたかもしれない。
そんな感情が彼女たちに伝わったのか二人の口角が上がった。
「健太くん、もしかしてけっこう嬉しかったりするのかな?膝枕されたり優しくされたりするの」
意地悪く橋本が言う。
「ななみん、今はからかうのやめようよ。健太くん可哀想じゃん。ね?こんなに可愛いのに」
白石の手が健太の髪を撫でる。
可愛いと言われてしまったが不思議と悪い気分ではない。
香りや肌の密着からくるドキドキが健太の心を大きく揺さぶる。
「そういえば、健太くんはキスしたことあるの?」
唐突な質問をしたのは白石だった。
『え、そりゃあありますよ…もう24ですし…』
この答えに二人はどこか寂しげな表情を浮かべた。
「そっか…そうだよね…ならさ、私達に教えて欲しいなぁ。キスを」
その発言を聞いた健太は何やら語り出した。
『えっと、初キスはレモンの味とか言いますけど全然違います。それは単なるロマンチストの言い回しであってですね「ストーップ!そんな講義じゃなくて実際に教えてよ。唇と唇で。さ?」
ゆっくり近づく桜色の二つの唇。
行き着く先は逃げ場のない震えがちな一つの唇。
拒んでいた健太も逃げれないとわかると瞳を閉じた。
3人の吐息がそれぞれの唇に当たる。
ピンポーン…
3つの唇が重なりかけたその瞬間
インターホンの音が遮った。
明らかに不機嫌な顔を取る二人に苦笑いを送る。
『もう大丈夫ですから僕が出ますね?』
健太は白石の膝枕から素早く離れると訪問者を確認しに玄関へと向かう。
覗き窓を見るとよく見知った顔がそこに居た。
「健ちゃん?いないの?」
そこには姉がいたのだ。
冷や汗が健太の額から流れる。
あの過保護な姉の事だ。
家に招けば修羅場になりかねない。
だが、だからといってこのまま出なければいつまでも玄関の前に居座るだろう。
苦渋の末、玄関にいる姉を入れることにした。
「遅いよ。健ちゃん!」
『何で急に来るんだよ。というか何でこの場所知ってんだよ。』
「…大事な大事な弟の住所くらい把握してなくっちゃお姉ちゃんの名が廃るでしょ?」
そしてハイヒールを脱ごうとした瞬間姉は動きが止まった。
女物のシューズとミュールが二足揃えておいてある事に気がついたのだった。
「この靴、誰の?」
『え?えっと…それは先輩方の…』
姉は弟の説明もろくに聞かずにハイヒールを脱ぐとズカズカと部屋の奥へと入っていった。
慌てて姉を追いかけるも三人の接触は避けられなかった。
「…健ちゃん?この方達はどういう関係なの?」
健太は戦慄した。
いつもは誰に対しても温和な姉が何か凄みの様な気迫を発しながら彼女達を見つめていた。
「健太くん、こちらは誰なの?
」
「わかるようにキチンと説明してね?」
白石、橋本も負けじと鋭い眼光で目の前の女を
見つめ返していた。
健太が説明しようとすると姉が喋りだした。
「私は矢口家長女。矢口健太の姉の沙羅と申します。弟とはいったいどういうご関係でしょうか?」
丁寧すぎる自己紹介にやや棘を感じる。
だが、姉というのを聞いたからか二人の表情が若干和らいだ様だ。
「お姉さんかぁ……あ、私は白石麻衣と申します」
「私は橋本奈々未と申します。私達は乃木坂46というアイドルグループのメンバーでしてそういう訳で仲良くさせて頂いてます」
それを聞いてか姉も表情を緩めた。
「そうだったんですね…弟がいつもお世話になっております」
「「あ、いえこちらこそ…」」
「弟は普段どういったご様子ですか?」
「あ、それはですね……」
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それから数時間後。
白石、橋本は日頃の疲労がピークに達したのか家でゆっくり休むために帰ろうとしたのだが香純がそれを許さなかった。
余程二人が気に入ったのかそれとも自身の持ってきたチューハイで酔いが廻ったからなのか健太のベッドで寝てしまえばいいと言い出したのだ。
二人は気力を振り絞りなんとか堪えていたのだがとうとうソファで寝てしまった。
『姉ちゃん、どうすんだよ。二人寝ちゃったじゃんか』
「い・い・の!私が許可する!だから二人を寝室に連れて行きなさい。健ちゃんは私と寝れば問題ないでしょ?襲いたきゃお姉ちゃんを襲いなさい!」
それはそれでヤバイだろ…と言いかけたがどうせ言ったところで水掛け論になるのは目に見えている。
健太は一人ずつお姫様抱っこをすると寝室に連れて行きベッドに横たわらせた。
二人の寝顔はあまりにも綺麗すぎていつまでも見ていたいと感じてしまったもののこれ以上同じ部屋にいれば何か間違いが起きてしまうかもしれない。
なんとも言えぬ感情を無理矢理押し込めた健太はほろ酔い状態…もとい泥酔同然の姉のもとに戻った。
『姉ちゃん、白石さんと橋本さん寝かせてきたけど姉ちゃんマジに泊まってくわけ?』
「何を今更。元々泊まるつもりだったし…だって健ちゃんと少しでも一緒に…ごにょごにょ…」
『はぁ?…まぁ、もう夜中だし今更帰れとは言わないけど風呂は入んなよ?』
はーい。と気の抜けた返事をしながらその場で脱ぎだす姉を慌てて脱衣室まで押し込むとらリビングの机に散らばるチューハイの空き缶やコップを片付け始めた。
それから数分後、勝手に弟のバスローブを使った姉は出てくるなり弟に抱きついてきた。
姉は酔いがまわるといつもこうなる。
決まって弟が犠牲になり5つ下の妹はその光景を冷やかすのだ。
この場に妹の姿はないがきっと居たら揶揄うに違いない。
「へへ〜抱き枕〜!」
『おい、姉ちゃん。風呂でまた飲んだろ?いい加減その癖と今してるこの癖も直せよな。酔払っちゃあこうだもんな』
「だーって健ちゃんが大好きなんだものっ!離れたくなーい!」
だから結婚できないんだよ。
だから彼氏できないんだよ。
と口に出したかったがこの状態の姉を怒らせてはならない事を健太は知っている。
華奢で腰まである癖のない黒髪が特徴的で背も健太より少し低い沙羅は一見大人しい小柄美人に見える。
だがこの見た目で空手9段、剣道5段、柔道8段と見た目に不相応なスキルがあるのだ。
これによってかはわからないが健太は学生の頃一度も虐められた事がなく比較的快適なスクールライフをエンジョイ出来た。
弟には決してその拳を振るう事はなかったが果たして今もそうなのだろうか。
健太はブルッと少し身震いをすると胸に頬を擦り付けている姉を見てため息をついた。