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 教室に戻るとちょうどチャイムが鳴った。体育の後の休み時間というのはどうも短く感じられる。女子は着替えに時間が掛かるのか、まだ誰も戻ってきていなかった。

 それでも日本史の教師は何食わぬ顔で授業を始めた。しばらくして女子が次々と教室に戻ってきた。しかし、隣の席だけは時間が止まったかのようだった。

(白石はどうしたのだろうか?)

 真は心配になった。ボールが顔面を直撃したので保健室で休んでいるのかもしれない。

(何事もなければいいけど)



 日本史の授業は板書の量が半端ではない。教師は喋りながら次々と黒板に書き付けていく。真は白石の分も取ってやることにした。

 自分のノートの一番最後を丁寧に破り取り、同じことを二回ずつ写していった。真は教師の言葉を聞きもらさず、必死にノートを作った。こんなに真剣に授業に臨んだことは今まで一度もなかっただろう。

 黒板が何度も消され、二枚の紙にびっしりと文字が並んだところで白石が戻ってきた。鼻の辺りに湿布が貼ってあった。顔の半分が紫色に染まっている。

 教師に軽く会釈をし、自分の席に静かに腰を下ろした。彼女は周囲の視線を遮るように片手で顔を覆い、もう片方の手でぎこちなく教材を準備した。

 真は破ったノートを彼女に差し出した。

「これ、ここまでの板書」

 真は優しい言葉の一言でも掛けてやろうかと思ったが、どうもそれは彼女が望んでいることではない気がして言わなかった。


 白石は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに小さく微笑んだ。

「・・・・・・ありがとう」

 それは初めて見る笑顔だった。湿布を貼った彼女の顔には気取ったところがまるでなく、自然な優しさに溢れていた。

(こんな顔で笑うんだ)

 真は少々意外に思い、たちまち心の中にぬくもりを感じた。白石に対して、間違ったことをしていないという自信が湧いた。

 その後、彼女は一度も真の方を向かなかった。次から次へと流れていく黒板を自分のノートに受け止めていた。それはいつもの彼女だった。

(白石の気持ちがなんとなく分かる気がする)

 白石の横顔を見ながら真はそう思った。中学時代、引っ込み思案で目立たない存在だった真は周囲から、やれ消極的だ。無気力だなどと言われ続けた。そんな自分は人より劣ると決めつけていた。挙げ句の果てに自分自身が嫌いになっていた。

 しかしそれは違った。自分だって毎日を精一杯に生きていた。たとえ人より優れた結果が出なくても、確かに日々を生き抜いていた。地味な人間も派手な人間と何ら変わりない。内に秘めたささやかな感情や主張もちゃんとある。それが周りの騒音にかき消されて、聞かせることができないだけだった。

 真はいつしか白石をいつかの自分と重ねているのかもしれなかった。