愛佳の車は軽自動車だった。スズキのワゴンR。初めて乗ったが、軽にしては天井も高く普通車のように見えた。
「変わらない町並みでしょ」
自嘲するように愛佳が言った。どうやら俺が車内をキョロキョロしているのが、外の景色を見ているのだと思ったようだ。
「そうだな。変わったのはあの老人ホームぐらいだ」
助手席のサイドミラーを見ると、くっきりとあの建物が見えた。
「最初は建設反対の声が大きかったんだ。『この町にあんな大きな建物はいらない。外観を損ねる』って。でも、実際完成して入居者が一斉に申し込んだのを見て、『あの建物をこの町のシンボルにしよう。介護に力を注ぐ美しい町だ』って、掌を返したの。笑っちゃうわ。数ヶ月前までと言っていることがまるで正反対なんだもん」
ハンドルを片手で操作しながら、空いた手で口元を隠すようにして愛佳はクスクスと笑った。
「大人なんてみんなそんなものさ」
「そうね。大人はみんなズルいもの」
先ほどとは違う、真面目な口調だった。俺はどう返事をしたらいいのか分からず、話題を変えることにした。
「親父、大丈夫かな」
ポツリと出てきたのはそんな言葉だった。自分でも何を今更と思う。
親父が倒れたのは一ヶ月前だった。仕事に行く途中で意識を失い、そのまま入院となった。運転中だったが幸いなことに、周囲には田畑しかなく、親父の車は畑へと突っ込んだ。
農作物を荒らし、ビニールハウスに突っ込んで車は停まった。速度もそこまで出していなかったのに加え、誰も轢かなかったのが不幸中の幸いだった。
事故を目撃した畑の所有者によって、すぐに救急車が呼ばれたのもまた運が良かった。どこまでも多運に恵まれた親父だが、唯一恵まれなかったのが息子だった。
十八歳で逃げるようにして実家を飛び出した親不孝な息子は、父親が事故に遭ったというのに一ヶ月間音信不通だった。
お袋からの着信にもメールにも全て無視した。いっそのこと死んでしまえばいいとさえ思っていた。
だが、本当にそれでいいのだろうかという
どうせ死ぬのならせめて一度だけでも顔を合わせてやるか。重い腰を上げ、有給休暇を使って実家へと戻ってきた。
この十年間、毎日のように辞めたいと思いながら働いた。有給休暇はほとんど使った試しがなかったから、同僚に教えてもらった。
滅多に使わない有給休暇の申請に加え、心の葛藤で疲弊していたのだろう。同僚は「何かあったのか」と心配そうな顔をしていた。