文字サイズ:

志田愛佳 「再会」3

6ff17303a73392e0776798b2.jpg




 間もなく実家が見えてくる。と、俺は胃の奥から競りあがってくるものを感じた。


「停めてくれ!」


 吠えるように言うと、車は音を立てて止まった。Gでフロントガラスに突っ込みそうなのを、シートベルトがガッチリと支えた。

 俺は反動で背もたれに背中ごと叩きつけられると、すぐさまシートベルトを外し、助手席のドアを開けた。


 口の中に酸っぱいものが広がる。水田の青臭いにおいがする場所で俺は嘔吐した。


「大丈夫? もしかして酔った?」


 すぐに愛佳が駆け寄ってきて、俺の背中を撫でた。


「違う」


 胃酸で喉が焼けそうだった俺は、ガラガラ声で否定した。


「大丈夫?」


「もう大丈夫だ」


 嘔吐したことにより、心臓が激しく高鳴っている。口の中が気持ち悪かった。


「口、拭きな」


 ハンカチが手渡され、俺は拭おうとしたがその手を止めた。


「汚れちまう」


「いいから」


 俺はハンカチと愛佳の顔を見比べ、「すまない」と言って口元を拭った。


「ガムならあるけど」


 助手席を開けた愛佳は中からガムを取り出した。


「もらう」


 本当は水で口の中を洗い流したかったが、今はガムでもありがたかった。二粒頂戴すると、口の中へ錠剤を飲むかのようにポイっと入れた。


「私の運転、荒かった?」


「違う。たぶん実家が近くなったせいだ」


 まだ見えないが、あと数分の距離だった。俺は実家のある方向を見ながら言った。


「そう。……帰りたくないの?」


 上目遣いで尋ねる愛佳は、駅前で見せた自信に満ちた顔ではなかった。


「そうなのかもしれないな」


 アスファルトにはブレーキの跡が残っていた。後続車がいなくてよかった。俺はワゴンRに寄りかかりながら辺りを見渡した。

 子供の頃に見た景色とまるで変わらなかった。水田の先に見える山。数十メートル間隔で置かれた電柱。遠くに見える民家。

 何も変わっていなかった。


「今日はどうするつもりだったの?」


「んっ、実家へ寄って、親父のお見舞いに行ってそれから……」


 そこから先は何も考えていなかった。いや、実家へ寄ることも、病院へ行くことも考えていなかった。

 ただ、この町へ来てから決めようと思っていた。


「ノープランだったわけか。『来てから考えよう』って魂胆ね」


 呆れたように言う愛佳に、俺は駅の方角を見た。

 水田が広がる地域にあって、巨大な老人ホームが似つかわしくなかった。