間もなく実家が見えてくる。と、俺は胃の奥から競りあがってくるものを感じた。
「停めてくれ!」
吠えるように言うと、車は音を立てて止まった。Gでフロントガラスに突っ込みそうなのを、シートベルトがガッチリと支えた。
俺は反動で背もたれに背中ごと叩きつけられると、すぐさまシートベルトを外し、助手席のドアを開けた。
口の中に酸っぱいものが広がる。水田の青臭いにおいがする場所で俺は嘔吐した。
「大丈夫? もしかして酔った?」
すぐに愛佳が駆け寄ってきて、俺の背中を撫でた。
「違う」
胃酸で喉が焼けそうだった俺は、ガラガラ声で否定した。
「大丈夫?」
「もう大丈夫だ」
嘔吐したことにより、心臓が激しく高鳴っている。口の中が気持ち悪かった。
「口、拭きな」
ハンカチが手渡され、俺は拭おうとしたがその手を止めた。
「汚れちまう」
「いいから」
俺はハンカチと愛佳の顔を見比べ、「すまない」と言って口元を拭った。
「ガムならあるけど」
助手席を開けた愛佳は中からガムを取り出した。
「もらう」
本当は水で口の中を洗い流したかったが、今はガムでもありがたかった。二粒頂戴すると、口の中へ錠剤を飲むかのようにポイっと入れた。
「私の運転、荒かった?」
「違う。たぶん実家が近くなったせいだ」
まだ見えないが、あと数分の距離だった。俺は実家のある方向を見ながら言った。
「そう。……帰りたくないの?」
上目遣いで尋ねる愛佳は、駅前で見せた自信に満ちた顔ではなかった。
「そうなのかもしれないな」
アスファルトにはブレーキの跡が残っていた。後続車がいなくてよかった。俺はワゴンRに寄りかかりながら辺りを見渡した。
子供の頃に見た景色とまるで変わらなかった。水田の先に見える山。数十メートル間隔で置かれた電柱。遠くに見える民家。
何も変わっていなかった。
「今日はどうするつもりだったの?」
「んっ、実家へ寄って、親父のお見舞いに行ってそれから……」
そこから先は何も考えていなかった。いや、実家へ寄ることも、病院へ行くことも考えていなかった。
ただ、この町へ来てから決めようと思っていた。
「ノープランだったわけか。『来てから考えよう』って魂胆ね」
呆れたように言う愛佳に、俺は駅の方角を見た。
水田が広がる地域にあって、巨大な老人ホームが似つかわしくなかった。