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兒玉遥 「風俗嬢」1

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 金はある。結婚資金だとコツコツと貯めていた金。彼女が出来たのなら出費もかさむだろうと思って貯めていた金がある。

 老後よりも恋愛だった。真面目に働き、コツコツと貯金をする。なんてつまらない人生だろうと憂いた日もある。しかし最後に勝つのは真面目な人間だと幼い頃から両親に教えられてきた。


 けれども、最近では本当にそうなのだろうかと疑問を強く抱くようになっていた。誰もが羨む一流大学を出て、有名企業にと勤めていても彼女はおろか、女友達すらいなかった。女友達はおろか、携帯電話に登録されている友人もいなかった。あるのは両親だけ。

 もう一つの携帯電話は会社用で、こちらは何件も登録されているがほとんど鳴ったためしがない。


 友達の作り方がわからなかった。難解な数学の式を解いていても、彼女はおろか友人の作り方がわからないのだ。

 いつからだ? いつから俺はこんな人間になってしまっただろう? 真面目な人間が最後に必ず勝つと教えてきた両親は、いつからか「早く結婚をしろ」と言い始めている。「相手はいないのか?」「紹介をしてくれる人間はいないのか?」実家に帰れば、身体の心配よりもそのことばかり言ってくる。


 いつしか俺は実家へと帰らなくなっていた――。




 朝からソワソワしていたが、ミスをすることなく仕事を終えることが出来た。いくらか社員が少なくなった会社を出ると、外はすっかりと夜の街に変わっていた。

 夜の街――俺には縁のない言葉だった。遅くまで残業し、帰宅すれば泥のように眠って朝は這うようにして起きた。休日は昼過ぎまで寝て、夜には明日があるからと床に付いた。

 こんな時間に会社を出るのは久しぶりのことだ。繁華街が眩しかった。この街は夜だというのに昼のように明るい。


 目的地へと近付くにつれ、心臓が張り裂けそうなほどの高鳴りを見せ始めた。こんなにも高鳴るのは大学受験でも就職活動の最終面接でも経験したことのないものだ。

 急な喉の渇きを覚え、自動販売機で飲み物を買おうとしたが、止めた。行為中、トイレに行きたくなるのが怖かった。


 雑居ビルが見えた。煌々とランプの灯る雑居ビルの前を通ったのは、今から一週間ほど前のことだ。

 仕事を終えると、ふといつも使っている駅の一つ隣の駅まで歩いてみようと思った。デスクワークばかりで、最近は腹も出始めてきた。運動不足を理由に、歩いてみることにした。


 道中、この雑居ビルを発見した。どこにでもあるビルだった。煌々と光る看板にはいかがわしい店だと分かる言葉たちが並んでいる。

 まだこういう店に行ったことはなかった。同期は新人時代、先輩に連れられて行ったらしいが、俺にはお呼びがかからなかった。きっと先輩も分かっているはずだ。新井なんか誘ってもつまらないと――。


 俺自身、童貞を娼婦に捧げるつもりなんて毛頭なかった。好きな相手と初めてを済ませ、結婚をする。それしか頭になかった。

 しかし、歳を重ねるごとに彼女はおろか女友達すら出来ない状況に焦りを覚えていた。同期たちは結婚をし、子供をもうけている奴も何人かいた。


 独身貴族といえば、聞こえはいい。しかし俺は貴族でもなんでもない。中高生でもする行為すらしたことのない人間なのだ――。




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 いつもならそんないかがわしい店なんて通り過ぎていた。しかし、いつもと違う行動をしていたためか、俺は自然と店の看板を眺めていた。


「いらっしゃいませ。どのような子がいいですか?」


 人懐こそうな笑みを浮かべてきたのは、見た目が俺よりも若い男だった。二十代前半だろうが、まだ高校生といっても通用しそうなほど童顔な男だ。


「あっ、いや見ていただけです」


 俺はそのまま立ち去ろうとした。しかし男が俺の進路を塞いだ」


「まあまあ。見ていってくださいよ。最近可愛い子が入ったんですよ」


「いや、しかし今持ち合わせが」


 嘘をついた。俺の財布には常に一万円札が三枚入っている。


「じゃあ今回は気になる子を見つけるだけで。ね、それでいいでしょ。はい、けってーい」


「ちょっと……」


 背中を押され、店の中へと通された。


「俺、本当に今持ち合わせがないんですよ」


「だいじょーぶです。見るだけですから。ほら、ウチにはこんな可愛い子たちが並んでいますよ」


 男が向けた指の先を見ると、女たちの写真が並んでいた。下着姿の女たちは全員が同じ顔かと思うほど化粧が濃くて、同じような笑い方をしていた。


「どうです。可愛い子ばかりでしょー」


 男には悪いが、どれもクローン人間のようにしか見えなかった。

 こんなところ、さっさと立ち去ろう。そう思ったときだった。俺の目はある写真を捉えた。


「この子は……」


「さすが旦那。お目が高い。その子は最近入った子なんですよ。二十四歳のピッチピチです」


「二十四歳?」


 おかしい。そんなはずはなかった。俺の知っている彼女だとしたら、同い年のはずである。


「あれ? 旦那はもっと若い子がお好きで? わかりますよぉ。ではこの子なんてどうでしょう。なんとまだ二十歳なんですよー」


 男の声が耳に入らなかった。

 おかしい。そんなはずがない。


 けれども、どう見ても写真に写る女は俺の高校時代の同級生にしか見えなかった。