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「にゃーにゃー」

 

 学校を終えた北川綾巴は、いつもの場所へ寄り道していた。

 彼女の前には、茶トラ模様の猫が一匹、一心不乱に綾巴からもらった猫缶を食べ漁っている。

 

「美味しいかい? いっぱい食べるんだよ」

 

 姉妹(きょうだい)のいない綾巴。

 小さなこの茶トラの猫は、まるで妹が出来たかのようだった。

 

 

 

 いつか母親が入院していた時、自分を習い事の会場から自宅まで送り届けていた彼が言っていた。

 

「恋」

 

 綾巴は、彼に恋について尋ねたことがある。

 彼は言った。

 

「この人ともっと一緒に居たいと思える人が、『恋』。それを突き抜けた先にあるのが『愛』」だと――。

 

 それからも、綾巴は愛について考えている。

 巷で流行っている流行曲。テレビで流れるドラマ。

 この世界は愛で溢れ、愛に飢えている。

 

 私は彼のことが好きだったのだろうか。

 綾巴の自問は続いた。

 

 恋をして、相手の嫌な部分すらも受け入れられるようになったら、愛に変わる――。

 けれども、綾巴はまだ彼の嫌な部分どころか、他の部分すらも知らないことが多すぎた。




「にゃー」

 

 猫缶を食べ終えた猫が、鳴き始めた。

 それはまるで綾巴にごちそうさまや、礼を言っているかのようだ。綾巴の胸が温かくなる。

 

「お腹いっぱいになった?」

 

 しゃがむ綾巴の足に身体をすり寄らせる猫。綾巴はその背を優しく撫でた。

 

「あっ」

 

 その時だ。

 ふと視線を上げた先に見知らぬ男がいた。

 男は小太りで、歳は四十を過ぎているようだった。頭髪の薄い頭を撫でながら、ニタニタとした笑みを浮かべ、視線を綾巴に向けている。

 

 男の視線はねばっこく、ある一点を見つめていた。

 綾巴はそれがすぐに自分のスカートの中を覗いているのだと気が付いた。

 慌てて立ち上がると、猫の頭を撫で、走って大通りに出た。

 

 昼の大通りは車の往来が多く、人通りもあった。さすがにあの男も何かしようとは思わないだろう。

 綾巴は一つ息を吐くと、猫に気を取られていた自分を恨んだ。

 

 あんな男に下着を見られるなんて。

 きっと彼だったら、許していたことだろう。なんとなくだが。

 



 まだあの通りに戻るのは危険だ。綾巴は買い物をして、時間を潰すことにした。

 適当な雑貨店に入ると、音楽が流れていた。

 耳を澄ますと、どうやらラブソングのようだ。

 

 この世界は愛で満ちている。

 けれども、まだ綾巴は愛を知らない。