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永尾まりや あの夜

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「夢か……」

 

 激しく高鳴る心臓を抑えながら、秋山祐介は深呼吸をした。

 背中がびっしょりと汗をかいている。

 

「どうしたのよ」

 

 いきなり祐介が起き上がるものだから、隣で寝ていた永尾まりやまで起きてしまった。寝起きで、不機嫌そうな声を上げる。

 

「いや、夢を見ていたんだ」

 

「怖い夢?」

 

 まりやは口元まで掛布団をかけると、覗き込むようにして祐介のことを見た。

 

「ああ。恐ろしい夢だった」

 

 祐介はそう言って頭を振ると、先ほどまで見ていた夢をまりやに話し出した。

 

 

 

 仕事を終えた祐介は、まりやから指定されたバーへと向かっていた。

 最近は仕事が互いに忙しく、デートが出来ていなかったから、久しぶりに彼女とのアフターデートに祐介は弾むような気持ちだった。

 

「いよ。お待たせ」

 

 先に職場を出ていたまりやが、すでにカウンターに座って待っていた。

 若いバーテンダーにビールを注文すると、まりやはようやく祐介のことを見た。

 久しぶりのデートだというのに、悲しい目をしていた。

 憐れんでいるような、それでいてどこか寂しそう。祐介はデートがしばらく出来ていなかったから、彼女はきっと寂しくて仕方がなかったのだろうと思った。

 

「別れてほしいの」

 

 ビールがカウンターに置かれ、手を伸ばしかけていた祐介の手が、その一言によって止められた。

 驚きながら隣を見ると、彼女の視線は、祐介ではなく酒瓶たちに向けられていた。

 

「おい、冗談にしちゃ笑えないって」

 

 それが祐介には冗談としか聞こえなかった。

 まりやの背中をトントン叩くと、彼女はその手を払いのけた。

 

「冗談じゃないわ。別れて」

 

 その目は、先ほどまでの悲しみを持った目ではなく、どちらかといえば軽蔑にも似た眼差しだった。

 

 

 

 いきなり、世界は暗転した。

 肝心なところなのに。

 

 祐介は真っ暗闇の中にいた。

 誰かをジッと待っている。

 

 その時だ。

 裸電球のような照明がパッと点き、まりやを照らした。

 祐介は、自分に背を向けるまりやに触れようとした。

 けれど、肩を掴むはずが、髪の毛を引っ張ってしまった。

 

 バタンと、扉を力任せに閉めたような音が聞こえた。

 祐介は辺りを見渡すと、倒れるまりやを抱きかかえて、足早に立ち去った。

 

 

 

「何、それ。怖い」

 

 祐介の話を聞いたまりやは、顔を強張(こわば)らせた。

 

「変な夢だったぜ、全く」

 

 ミネラルウォーターを飲みながら、祐介は動悸が治まるのを待った。

 

「私、死んじゃったのかな」

 

「バカ言うな。生きてるに決まってるじゃないか」

 

 祐介は空になったボトルを投げると、不安そうな顔をしているまりやを抱きしめた。

 大丈夫。鼓動はある。

 まりやの体温を全身で受けると、唇を奪った。ぽってりとした、厚みのある唇を、貪るように吸い付く。

 

「さあ、寝起きの一発でもするか」

 

 こんな夢など、さっさと忘れたかった。

 きっとセックスでもすれば、すぐに忘れられるだろう。

 

 

 

 まさか、それが正夢になる日が来るなんて、祐介はあの夜思いもしなかった。