「Sorry」
しつこく迫って来た男もようやく諦めがついたのか、わざとらしく溜め息をつき、何か暴言のような言葉を吐いて店を出て行った。
入山杏奈は吐息をついた。カウンター越しにいるマスターも危険を回避したため、杏奈の近くから離れた。
「はあ」
久しぶりの骨の折れるしつこい男だった。これだからラテン系の男は困る。
きっと、付き合えば楽しいだろう。日本の男――“彼”と比べると、とても明るく、レディファーストに長けている。
だがそれは、結局は自分と付き合うまでだろう。彼らは表向きでいい顔をするが、裏の顔は羊の皮を被った狼なのだ。
文化の違いといってしまえば、それまでなのだが、越えられない部分は往々にしてある。だから、付き合わない方がお互いのためなのだ。杏奈はそう割り切っている。
「はあ。なんかいいことないかなあ」
黄色いカクテルに浮かぶ氷を指で突く。
こうしてバーにいると、どうしても“彼”を思い出してならない。
そう。“彼”もまたバーテンダーであった。
付き合った期間は、長いのか短いのか、杏奈には分かりかねた。
けれど、間違いなく充実していた。
幸が薄くて、お人好し。ちょっと変態なところもあった。
いなくなって初めてその人の大切さを知る。
こんな当たり前のことに、杏奈は傷口に傷が染み渡るように、身体の隅々まで沁み渡っていた。自業自得だと言われれば、それまでなのだが。
別れを告げたのは、杏奈の方だった。
国内線から、国際線へ移動になった。それは杏奈が望んでいたことだ。
勉強をしなくちゃいけない――別れるための理由はいくらでも思いついた。
自身を不器用なタイプだと自覚している杏奈にとって、あれもこれも器用にこなせるはずがなかった。いつかはどちらかを取らなくてはならない――。
杏奈は結局、仕事を取った。
別れを告げた場所は、奇しくも、バーであった。
ニューヨークの夜景が見えるホテルのバーラウンジ。
先ほどまで黒人男性たちがジャズを奏でていた。
そこへ来た、ラテン系の白人男性。杏奈を見て、東南アジアかと訊いてきた。
杏奈が日本人だと答えると、彼は情熱的に口説き始めた。
だが、杏奈の心が突き動かされることはなかった。彼の目に映っている自分は、ウサギのように弱い生き物だったからだ。
結局は身体目的なのは目に見えていた。
杏奈は顔を左右に振ると、立ち上がった。
こちらに気付いたバーテンと目が合った。これが彼なら――。
余計な妄想はベッドでしよう。どうせ明日は早いのだ。
そう。明日も仕事。彼を捨ててまで取った大好きな仕事がある。
バーラウンジにある窓を見る。
摩天楼から見えるニューヨークの夜。
杏奈はそれを一瞥すると、足早に自分の部屋へと戻って行った。