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高橋朱里 実は意外と

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「朱里さん。機嫌を直してくださいよ」

 

 平野正樹は狼狽していた。

 店の常連客である高橋朱里と柴田阿弥の三人で飲んでいた時のことである。


「そういえば、今度コスプレ大会があるみたい」

 

 居酒屋でずいぶんと飲み明かしていた頃だ。阿弥が思い出したかのように言った。


「コスプレ大会? コスプレって、あのコスプレですか?」

 

 アルコールで顔を真っ赤にした正樹が訊くと、阿弥は大きく頷いた。


「そうよ。何でも優勝者には賞金二百万らしいの」

 

「二百万!?」

 

 正樹よりもまず、食いついたのは朱里だった。

 

「ずいぶんと破格ではないですか」

 

「うーん。確かそうだったと思うけど……」

 

 この時、もっと疑っておけばよかったのだ。

 言った本人も、聞いた人間も酔っていたのだ。あの時、まともな思考回路を持っていた人間など一人もいない。


「いいじゃないか。僕は出る」

 

「朱里さん、本気ですか?」

 

 こういった類のことにまさか朱里が参加表明を見せるなんて。正樹は目を見開いた。


「本気だよ。だって、聞いただろ? 二百万だよ、二百万。それがあれば、おじいさんの好きな煎餅を大人買い出来る」

 

 志は立派だが、いかんせん登るべき山は低いような気がした。が、朱里の目があんまりにも輝いているものだから、「そうですか」としか言えなかった。

 

「正樹君はどうする?」

 

「僕は出ませんよ」

 

 正樹の隣から鼻を鳴らす音が聞こえた。

 

「まあ、君じゃ無理だよ。僕が鮮やかに優勝をかっさらって来てあげよう。賞金を手にしたら、缶コーヒーぐらいならご馳走してあげてもいいかな」

 

 朱里はもう二百万を手にしたも同然と言わんばかりの顔だった。

 

「じゃあ、決まりね。楽しみ」

 

「そういえば、衣装はどうされるんですか?」

 

「自分たちで用意するみたい」

 

 自分たちか。これはセンスが問われる。

 正樹は腕を組んだ。

 王道で行くか、それとも真新しさを求めるか。チラリと朱里の様子を窺う。

 

「それは困ったなあ。僕はそんなコスプレをしたことがないから、分からないよ」

 

「じゃあ、私が用意してもいい?」

 

「阿弥さんが?」

 

 朱里はテーブルに身を乗り出さんばかりだった。

 

「うん。一度選んでみたかったの。朱里ちゃんにとっても似合うの探して来るから」

 

「それは助かる。うん。阿弥さんにお願いするよ。よし、僕が優勝したら缶コーヒーとケーキを買ってあげよう」

 

「やったー。うん。二人で優勝目指しましょう!」

 

「オー!」

 

 ハイタッチをし合う二人を見ながら、正樹は苦笑いを浮かべているだけだった。

 

 

 

 そして迎えた大会当日。

 阿弥の用意した衣装に身を包んだ朱里は、明らかに不機嫌そうだった。

 

「あの、似合っていますよ……。ええ」

 

 控室で、着替えた朱里を見てからしどろもどろになる正樹。肝心の阿弥は、店があるからと、彼女に衣装を渡すとさっさと帰って行ってしまっていた。

 

「…………」

 

 重い沈黙が控室を支配する。朱里は着替えてから、一言も発していない。

 どうしたものか。正樹が頭を抱えると、ようやく朱里が重たい口を開いた。

 

「……違う」

 

「え?」

 

「僕がしたいのは、こんな恰好じゃない!」

 

 それはそうだろうと、正樹は思った。こんな着ぐるみで、誰が優勝なんて出来るものか。

 

「ええ。お気持ちは重々分かりますよ。ですが……」

 

「僕はウサギよりも猫派なんだ! 猫の方が良かった!」

 

 そっちかよ!

 正樹は漫画のようにすっ転んだ。