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古畑奈和 崩れ落ちる空

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「先生。早く、こっち」

 

「そんなに慌てなくても祭りは逃げないって」

 

 人に波を掻き分けるようにグイグイと進んで行く古畑奈和。

 その姿を担任教諭である奥野正義は、何とか見失わないように着いて行く。

 

 祭り特有のにおい。

 焼き物と花火、そして制汗スプレーに混じった会場は、年に一度の行事を待ちわびた人だかりでごった返している。

 

 正義は奈和の頭を見失わないように歩いていたが、ついには見失ってしまった。

 

「奈和、どこへ行ったんだよ」

 

 

 

 正義が奈和のことを探している間、彼女もまた正義のことを探していた。

 人の波の中で正義を探す。

 けれども、どんなに目を凝らしても、正義が見当たらない。

 

「どこに行っちゃったの」

 

 生徒と教師の関係があるから、二人は遠く離れたところの祭りに来ていた。

 土地勘のない奈和は一人きりとなり、心細さから泣いてしまいそうだった。

 

「先生……」

 

 奈和はたまらず空を見上げた。

 赤く染まった空。見上げた空は真っ赤な夕焼け空だった。

 綺麗な赤だった。それなのに、奈和はその空を怖いと感じた。

 

 もしかしたら正義は死んでしまうのかもしれない。

 なぜだか、奈和はそんな気がした。

 

 早く探さなくては。奈和は目尻に溜まった涙を拭うと、駆け出した。

 空から逃げるように――。

 

 

 

「ようやく見つけた」

 

 橋の上に正義はいた。欄干に寄り掛かるようにして、空を見上げている。

 

「おい、どこに行ってたんだよ。ずっと探していたんだぞ」

 

 学校と変わらぬ口調が、奈和は好きだった。奈和は駆け寄り、正義に抱きついた。

 

「こっちだって必死になって探したんだよ。もしも先生に何かあったらって考えると……」

 

「そりゃあこっちの台詞だ。奈和にもしものことがあったら、俺の人生は色んな意味で終わる」

 

 正義らしいと、奈和は笑った。

 斜に構えていて、可愛げがなくて、教師のくせにセックスのことばかり考えている。

 

「それよりもさ、奈和は見たか。すごい綺麗な空だったよな。やっぱり田舎は違うのかねえ」

 

「見たよ。真っ赤な空でしょ? 私はなんだか怖かった」

 

 ふーん、と言いながら胸ポケットから煙草を取り出すと、正義はライターで火を点けた。

 

「吸うか?」

 

「私まだ高校生だよ」

 

「高校生でも吸っている奴なんてたくさんいるよ。ま、俺は女が煙草を吸うのは好きじゃないけどな」

 

 それなのに自分に勧めるとは。

 苦笑した奈和に煙がいかないように吸っているところは、一応自分に配慮してくれているのだと奈和は感じている。

 

「あんまり吸い過ぎないでね」

 

 美味そうに煙草を吸っていた正義の手が止まった。

 

「珍しいっていうか、初めてだな、お前がそんなことを言うのは」

 

 正義の言う通り、奈和は煙草の件に関して一度も口を出したことがなかった。

 むしろ、煙草を吸う姿がかっこいいと思った時があるくらいだ。

 だが、あの赤い空を見た奈和は、臆病になっていた。車の運転もして欲しくないし、煙草だって吸って欲しくなかった。

 

「私だって先生の身体を心配することぐらいあるわよ」

 

「ふーん。そうか」

 

 煙草を指に挟んだまま思案する正義。

 奈和は余計なことを言ってしまったのかと、不安になった。

 

「よし。禁煙すっか」

 

 だが、正義の反応は奈和が予想していたものとは違った。

 

「え? 禁煙?」

 

「そうだ。俺も止めようかなって思っていたけど、踏ん切りっていうか、理由がなかったんだよ。一応理由も出来たし、止められるかなって」

 

「理由?」

 

「お前だよ。お前が心配してくれただろ? お前に心配されてちゃ教師失格だからな」

 

 携帯灰皿に煙草をしまうと、正義はぐしゃぐしゃと奈和の頭を撫でた。

 

「さ、祭りに戻るか」

 

「うん」

 

 奈和は空を見上げた。あの赤い空はとうに消え、今は漆黒の空に覆われていた。