「ちょっと休憩しよっか」
柴田阿弥がそう言うと、高橋朱里は待ってましたと言わんばかりに駄菓子屋の中へ入って行った。
「朱里さん、行きたかったんですね」
「好きなんでしょ。目が輝いていたもの」
平野正樹と柴田阿弥は子供を見守るような目で、互いに笑い合って見せた。
常連客の二人と店のマスターである正樹は、互いの休みを合わせ、遊びに出掛けている。
夜に始まる花火大会まではまだ時間がある。夏の夜はなかなか訪れないでいた。
「それにしても暑いわねえ」
ハンカチを取り出し、汗を拭う阿弥。浴衣姿で、白いうなじを見た正樹はドキリとした。
「ちょっと飲み物を買って来ます」
逃げるようにして、正樹は駄菓子屋の中へ入って行った。
駄菓子屋の中は、お世辞にも広いとは言えなかった。お菓子が所狭しと並べられている。
そんな中で、朱里は小さな子供のようにはしゃいでいた。
「むっ、まだ僕は出ないよ」
正樹が呼び出しに来たと思ったのか、朱里は不満そうな顔をした。
「違いますよ。飲み物を買いに来たんです。まだ居てもいいですよ」
「なんだ。紛らわしい」
正樹は苦笑しながら、朱里の横を通り過ぎ、ラムネを二本買った。
「どうぞ」
「ありがとう」
外へ出た正樹は、買ったラムネの一本を阿弥に渡した。彼女は包装紙を剥がすと、ラムネをベンチへと置いた。
「上手く開けられるかしら」
手で上から抑え込むと、ビー玉が下へと落ちた。
「上手いじゃないですか」
正樹もそれに倣うように、ラムネを開けた。
「久しぶりに飲んだけど、美味しいね」
その時だ、ふいに正樹の心臓が高鳴ったのは。
彼女の横顔。束ねた髪。普段見慣れない浴衣姿。
彼女は既婚者のはずだった。それなのに、今の彼女はまるで少女だった。夏休みの少女――。
「うん? どうしたの?」
大きな目がこちらを見ている。それだけで、正樹は顔が赤面するのが分かった。
「いや、なんでもないです」
慌ててラムネを飲んで誤魔化す。冷たい微炭酸が、火照った体の中へ溶け込んでいく。
「あーあ。私もあと十歳若かったらな」
「今の阿弥さんでも、十分魅力的ですよ」
何も嵌められていない左手の薬指。仕事柄、指輪を身に付けられないという。
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどな」
阿弥の深意が分からず、正樹は顔を傾けた。
彼女はそれを意味深な笑みを浮かべて見ていた。
蝉の鳴き声が響き渡る。
風が吹くと、風鈴の清らかで伸びのある澄んだ音が聞こえる。
この世界に「もし」はない。
けれども、それを願うのは人の性だった。
ある人は思った。
もし、この時間がずっと止まったのなら。
ある人は思った。
もし、時間が逆戻りし、彼と早くに出会っていたら。
飲み終わったラムネ。
中に入ったビー玉が小さな音を立てた。