「妊娠した」
「誰が?」
「私が」
先ほどまで蒸し暑い外にいたせいか、はたまた映画館が冷房の効き過ぎだったのかこの子はおかしくなってしまったのだろうか。
「どこか具合でも悪いの? あんまり悪いようなら帰るけど」
「ダメ。具合は……悪いよ。つわりがする」
一体何を言っているのか。
平野正樹には、十六歳の少女の意図が読めなかった。
「つわりって、そんな妊婦さんじゃあるまいし」
「だから妊娠したの。あっ、今お腹の赤ちゃんが動いた」
そう言いながら、北川綾巴は自分のお腹を撫でた。
ペッタンコの腹周りは、どう見ても妊娠しているようには見えなかった。
しかも、綾巴が言うに腹の中の胎児はずいぶんと大きいようだ。
なぜいきなりこの子は、誰が見ても嘘だと分かることを言い出したのだろう。
連れて行け、連れて行けとうるさい綾巴に根負けをし、正樹は綾巴と遊びに出掛けた。
彼女が見たがっていた映画。女子中高生に人気ということもあってか、映画館の客層は綾巴と同世代の子たちばかりだった。
正樹にはひどく退屈な映画だった。
同級生の男の子に恋をする女性生徒。それを描いた作品は、正樹にとって刺激が少なかったが、綾巴たちにはとても身近なことで、親近感を覚えるというキャッチフレーズ通りであった。
何度も寝かけては、隣に座る綾巴に太ももをつねられながらも、正樹は最後まで映画を見た。
感動で目元を潤ませる綾巴に対し、正樹はようやく終わったと安堵する気持ちと欠伸を噛み殺した涙が滲んだ。
映画館を出た二人は、カフェに入ることにした。
無難なチョイスであったが、いきなり綾巴がそんなことを言い出すものだから、正樹は訳が分からなかった。
「お腹の子、すごく元気みたい」
アイスコーヒーを飲みながら、正樹は綾巴を胡散臭い目で見ている。
「一応訊くけど、誰の子」
「それはもちろん」
ビシッと指を指されたが、正樹はあえて後ろを振り向いた。
「パパぁ」
小さい子供のような甘えた声を出す綾巴。
「僕にはそんな大きな子供はいません」
「いいもん。綾巴は子供じゃなくて、ママになるんだ」
「スナックの?」
無言で手の甲をギュッとつままれた正樹は、「痛いって」と声を上げた。
「もう。パパが変なことを言うから」
「だからパパじゃないって」
綾巴につままれた手の甲は赤くなっていた。
「とにかく、妊娠した。責任とって」
「妊娠をさせるような真似はしていませんよ、綾巴さん」
「もうお腹の子は臨月なの。明日産まれるかもしれない。だから責任をとって」
「このお腹のどこが臨月なの。いい加減にしなさい」
正樹は洋服に触れる程度のタッチを彼女の腹部にした。
「あっ、触った。セクハラ。今ので絶対妊娠した」
「高校生がバカなことを言ってるんじゃないよ」
「高校生だって妊娠は出来るよ。ねえ、責任とってよお」
「だから妊娠なんてしてないでしょ。あんまりしつこいと解散にするよ」
ハムスターのように頬を膨らませる綾巴。
正樹は一瞬、それを可愛いと思ってしまった。
「正樹さんを見ただけで妊娠するんだもん。仕方ないじゃん」
「そんな、人を歩く妊娠製造機みたいに言わないでよ」
「いいね、それ。歩く妊娠製造機。私、やられちゃった」
この少女は一体どこへ向かっているのだろう?
正樹は残ったアイスコーヒーをストローで