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木﨑ゆりあ Last Peace

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 世界のどこだかの国が独立を果たしたらしい。

 歓喜する国民。

 私は一人きりのリビングでパンを食べながらそれを見ていた。

 

 テレビ画面から流れる映像。

 これで平和が訪れるとキャスターは言った。

 

 遠い国の出来事。

 私には関係ない。

 

 

 

「はあ。お金がない」

 

 ブティックのウインドゥを見つめながら、木﨑ゆりあは溜め息をついた。

 手の中にある財布の中身は、数枚のレシートがあるだけだった。

 

 つい最近までは男を(たぶら)かし、その隙をついて抜き取った一万円札が数枚あったはずである。

 あの札たちはどこへ行ってしまったのだろうか。

 羽の付いた札たちの行方をゆりあは知らない。

 

 

 

「捨てられたんですね。可哀想」

 

 ファストフード店内。

 ゆりあはスーツ姿の男といた。

 

 男はひどく落ち込んでいた。

 彼女に別れを告げられたらしい。

 

 ゆりあはチャンスだと思った。

 こういった傷を負っている男ならば、騙すのは容易かった。

 良心が痛むほどの心はもうすでに持っていなかった。騙される方が悪いのだ。

 

「俺はあいつのためにずっとやって来たんだ。それなのに、なんだ。いきなり『別れましょう』って。バカじゃないのか」

 

 酒も入っていないのに、男はずっと別れた女のことを未練がましく言っている。

 ゆりあはこういう男が苦手だった。

 お前に魅力がないから――こんなところで初めて会った女子高生にそんな愚痴を言っているから振られるんだと思いながらも、獲物だと思って仮面を被り続けている。

 

「ねえ、そんなに落ち込んでいるのなら、私が慰めてあげようか」

 

 ブレザーをはだけさせ、ピンク色のYシャツのボタンを外しながら言うと、男の目に生気が宿るのが見えた。

 

 

 

「ねえ、お風呂に入ってからにしない? ほら、私もあなたもずいぶんと汚れているし」

 

「俺はこうして一日汗をかいた身体が好きなんだ。シャワーで洗い流すなんて勿体なくてしょうがない」

 

 ホテルに入って、男がシャワーを浴びている間に、男の財布から金を抜き出す予定だった。

 しかし、男は一向に風呂場へ向かおうとしない。

 それどころか、ゆりあに抱きついて身体のにおいをずっと嗅いでいる。

 

「目に見えない細菌とかいるのよ。だからお願い。シャワーを浴びて来て。ね、私も後から一緒に入るから」

 

 男の荒い鼻息がうなじにかかり、ゆりあは身をよじりながら言った。

 このままでは金を奪えないままに犯されてしまう。

 

「だからシャワーなんて野暮な真似はしないって言ってるだろ。そのままの君を受け入れるよ」

 

 ゆりあをベッドへ座らせると、男は(ひざまず)いて、ゆりあの足のにおいを嗅ぎ始めた。

 ソックスを穿いてるとはいえ、そんなところを嗅がれるとは思ってもいなかったゆりあは嫌悪感でいっぱいになった。

 

「そんなところのにおいを嗅がないで。汚いよ」

 

「君に汚いところなんて存在しない。足の裏も指の間も、肛門も。全て受け入れるよ」

 

 ソックス越しにペロッと舐められ、ゆりあは全身の産毛が逆立つのを感じた。

 この男は危険だ。

 貞操の危機を覚えたゆりあは、何とか逃げ出そうと試みる。

 

「そうだ。ゆりあ、帰らなきゃ。おばあちゃんが具合悪いんだった」

 

「ここまで来てそんなつまらない嘘はつくなよ」

 

 ソックスが脱がされると、剥き出しになったゆりあの足に男は頬ずりした。

 男のひげがチクチクと皮膚を引っかく。

 

「さあ、俺をもっと慰めてくれ」

 

 ああ。やってしまった。

 ゆりあはこの男を選んでしまったことを後悔した。

 浅はかだった。この男にそんな性癖があったなんて。

 

 いつもそう。頭の悪い人間は肝心なところで失敗してしまう。

 今もそう。そして、これからもそう。

 

 生温かく、不快な感触が足の裏に伝わる。

 ナメクジのようにそれはゆりあの足元を這った。

 

 

 

 世界のどこだかの国が戦争を終結させたらしい。

 争いは終わり、やがて訪れるだろう平和を待ち焦がれている。

 

 私の平和はどこ?

 ゆりあの目から涙が一滴流れた。