
「じゃあ、さよならだね。あんまり長くいるのも美瑠に悪いし」
アーモンド形の瞳を細め、寂しそうに俯く彼女。
涼はそんな彼女――聖菜を抱きしめたかったが、理性の力で何とか抑えている。
「すまない、聖菜」
沈痛な面持ちで、そう言うのが精一杯だった。
大学の同級生である福岡聖菜と白間美瑠。二人から好意を寄せられた藤真涼は、悩んだ末、白間美瑠を選んだ。
そのことに対して後悔はしていないし、間違ってはいないと断言できる。
しかし、どうしても聖菜の気持ちを考えると、胸が痛むのもまた事実だった。
聖菜の気持ちを知っているのは、涼だけではなかった。
晴れて彼女となった美瑠もまた、聖菜を思うと手放しで喜べなかった。
そこで美瑠が考案したのは、一日限りの涼と聖菜のデートであった。
セックスをするのはダメだが、キスまでならいい。美瑠はそんな条件で涼を送り出した。
これは浮気ではない。
美瑠が言い出し、許可したことだ。
涼はそう自分に言い聞かせ、聖菜もまた、美瑠の再三の説得にようやく首を縦に振って二人はデートをすることになった。
デートといっても、普段と変わらなかった。
映画を観て、カフェに行って、買い物をする。美瑠がいないだけで、結局はいつも通りのことを二人はした。
だが、夜になって、夕食を済ませると聖菜は最後に東京タワーへ行きたいと言い出した。
聖菜が以前涼に告白をした場所――どうしても気は進まなかったが、これで彼女の気持ちに区切りが付けばと、涼は了承した。
東京タワーの大展望台から見える東京の夜景は、やはり綺麗であった。と同時に、人間の身体のようだとも思った。
赤いテールランプが灯る道路は、血液が流れる大動脈で、点滅を繰り返す航空灯の赤い灯りは赤血球のようだ。
赤く灯る東京タワーという心臓から送り出される血液。赤い光はまさに血のようだ。
「綺麗だね」
「ああ」
横目で見る聖菜の表情は、暗がりで何を考えているのか汲み取れなかった。
「もう。せっかく彼女が出来たのに、そんなぶっきらぼうだったら悲しむよ。いくら美瑠でも」
「あいつは平気だよ。それを承知で付き合ってくれている」
「……うん。そうだね」
一呼吸置いて答える聖菜に、涼は余計な一言だったかと後悔した。
恋人が出来ようが、まだまだ人の心の機微に疎い自分がいる。
「私も新しい恋を見つけなきゃ、ね。いつまでも二人のラブラブを見ているのなんて嫌だから」
健気な女だ。
気丈に振る舞う聖菜を見ていると、涼はそう思えてならない。我慢強い女というのは、全てのことを我慢してしまう。
「聖菜ならきっといい人が見つかるさ」
「涼よりも?」
「当たり前だろ。俺以上の男なんて、この灯りよりも多くいるよ」
「そっか。涼がそう言うのなら、間違いないよね。なんせ私が初めて好きになった人なんだから」
抱きしめたくなった。彼女の細い身体を折れそうなほど抱きしめてやりたかった。
セックスはダメだが、キスまでならいいと、美瑠は言っていた。
抱擁ならばその範疇にあるはずだ。涼は聖菜に近づいた。
「ダメだよ。美瑠を裏切るわけにはいかないから」
聖菜の小さな手が広げられた。
「けど、お前はそれでいいのか」
「私が好きになった人はね、ぶっきらぼうで冷めていて、そのくせ寂しがり屋で済んだことをいつまでも気にしている人で」
自分のことを言っているのだと涼はすぐに気付いた。
「とっても優しい人なんだ。でもね、優しさってはき違えることが多いと思うの。中途半端な優しさはかえってその人のためにならないと思うんだ」
言いながら聖菜の目は徐々に潤んで来ていた。
「だからね、涼はそのままの人でいてもらいたいんだ。お願い。優しい人のままでいて……」
笑顔なのに上ずる声。彼女はこんなにも気丈な人間だったなんて。
やるせない気持ちの波が押し寄せている。この波間に飲み込まれてしまいそうだ。
堪らず涼は視線を逸らした。もう彼女を見ていられなかった。
窓の向こうでは、変わらず血液が流れ続けていた。