文字サイズ:

生田絵梨花 妄想の世界で生きる君

4b7ab63c47475000a87ce809.jpg




「生田さん。朝ですよ」

 

 カーテンを閉めていない部屋に光が差しこむ。

 水平の先からまだ弱い日の光が私たちを包もうとしている。

 

 生田さんは私の隣で眠るようにしている。

 まだ生きているようだ。

 

「私はお恥ずかしながら朝が苦手でして。生田さんはいかがですか?」

 

 裸のままの彼女。

 何度も欲望を注ぎ込んだ性器は綺麗に拭いたつもりなのに、青臭いにおいまでは取れなかった。

 

「優等生ですものね。羨ましい限りです」

 

 正確に言えば、彼女の声は“耳には”聞こえてこない。

 だが、心の中でしっかりとその声は届いていた。

 

「ああ、私も生田さんと同じ学校生活を送りたかった」

 

 私は思い出していた。

 私の学生時代。

 

 片想いをしていた相手は、生田さんとよく似た女生徒だった――。

 

 

 

「大石君、また一人でご飯を食べてるの?」

 

 昼休み。一人で昼食を取る私に声をかけてくれた女生徒がいる。

 黒光りするほどに鮮やかな髪の色。吹き出物の一つもない端正な顔。物腰柔らかな声。明晰な頭。真面目で嫌味のない性格。

 非の打ちどころのない彼女は、学園のマドンナだった。

 

「ええ、まあ」

 

 購買で買ったパンを食べながら、私は答えた。

 視線なんて合わせられなかった。彼女を見ていると、自分がいかにちっぽけで惨めなことか。

 

「じゃあ私と食べようよ」

 

 言うや否や、彼女は私の前の席から椅子をくるりと回転させ、私と対面するように座った。

 

 周囲の視線が私たちに向けられているのが分かった。

 けれど、私にはどうすることも出来なかった。

 彼女が自分で座ったからだ。

 

「いつも購買のパンだね」

 

 ピンク色の包みから取り出された小さな弁当箱。

 中を開けてみると、色とりどりの料理が詰め込まれていた。

 それは彼女が作っているはずだった。

 たまたま耳に入った情報を私は覚えていた。

 

「そんなんじゃ栄養が偏っちゃうと思うけど、誰かお弁当を用意してくれる人はいないの?」

 

 私はかぶりを振った。

 私にはそんな相手がいなかった。

 

「そう。もし必要だったら、いつでも言って。私が用意するから」

 

「いや、そんなの悪いですよ」

 

 パンが喉に詰まりそうになってしまいながら答えた。

 

「いいのよ。人に頼ることは、決して恥じゃないの。人は支え合って生きているんだからね。私も大石君に頼る日が来るかもしれないし」

 

 そんな日が果たして来るのだろうか。

 紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら、私はそんな日が来る未来を想像した。

 けれど、どんなに妄想を膨らませても、そんな日が来ることはなかった。

 

「最後の学園祭までもうちょっとだね」

 

 弁当を食べ終えた彼女が言った。

 

 そうなのだ。学園生活最後のイベントが差し迫っていた。

 けれど、私はまるで気が乗らず、いつも準備を逃げていた。

 最初のうちは非難を浴びていたが、最近では誰も諦めたようで、何も言われなくなっていた。

 

「あのね。最後の学園祭、大成功させたいんだ」

 

 彼女は学園祭の実行委員会に入っていた。

 

「だからお願い。大石君の力が必要なの」

 

 手を合わせて懇願する彼女。

 そうだったのだ。

 彼女は学園祭のことで話があったから、私と昼食を共にしたのだ。

 

 

 

 結論から言えば、私は逃げた。

 学園祭の準備からも、何もかも。

 

 当日に欠席をした私を彼女はどう思ったのだろう?

 それが原因――様々な要因が積み重なった、核のような部分に私が原因しているのかどうか分からないが、彼女は数年後自殺をした。

 

 彼女の死には、様々な憶測が流れた。

 彼氏の浮気、親の事業の失敗、アルバイト先や大学生活の中での人間関係……。

 

 多岐(たき)(わた)る憶測の中で、私のことが挙げられることはなかった――。

 

 

 

 今でも彼女はなぜ死んだのか分かっていない。

 

「生田さんはどうしてだと思います?」

 

 ――あんたのせいよ。全部あんたのせい。

 

 全ては妄想をしてしまったせいなのか。

 私が必要とされることなんて、決してありえないのに。

 

 妄想の世界であなたは生き続けている。

 現にこうして、私の前にいて、私の初めてをあなたに捧げたのだから。

 

「生田さん。いや、絵梨花。絵梨花と呼ばせてもらうよ」

 

 ――冗談じゃない。

 

 見た目に反して、絵梨花は気の強い女のようだ。

 

 それよりも、亡くなった彼女の名前をついに私は思い出せない。

 しかし、それでも構わなかった。

 

 妄想の世界で生きる君に、名前なんて必要ないのだから。